今さら『ランウェイ☆ビート』感想

今さら『ランウェイ☆ビート』感想
2011年3月公開の映画。
原作は、原田マハさんのケータイ小説
私はどうも、この「ケータイ小説」というものとあまり相性が良くなくて、
読まず嫌い・・みたいなところがあって(すみません)
だから、映像化されたものに関しても、勝手な苦手意識を持ってしまって、
すすんで観ようとは思わない、という感じなんですが、
そういう私の偏見をぶち破って欲しいなぁ、と内心期待しつつ、
wowowで放送されたものを観ました。


映画は非常に分かりやすい展開で、
小学生でもすんなり入っていけるかもしれない、とは思いましたが、
青春ドラマだから、ジュブナイルだから 「この人物描写の浅さでいい」とは
決して思えなくて。


何だろう、
登場する学生たちも、大人たちも、誰も彼も切実さがないんですよね。
もちろん、それなりの悩みもあり、苦しみも痛みもあるんだけど、
フワフワと現実味がなくて、
表面だけの薄っぺらいものになってしまっている。
特に学生たち。
懸命に自分の居場所を探す、必死になって大きなものに抗(あらが)う、
夢中で困難に立ち向かう、といった熱意や情熱がほとんど感じられない。
その熱さ・エネルギーこそが、青春の証であるはずなのに。


瀬戸康文くん、桜庭ななみさん、桐谷美玲さん、田中圭くん、
IMARUさん、小島藤子さん等々魅力的なメンバーが揃っていただけに、
もっともっと、彼らが自分の演技に深みを持たせられるような、
彼らがキラキラと輝いて見えるような、そんな展開にして欲しかった。


クライマックスのランウェイは、
それなりに高揚感のあるものになっていたけれど、
そこに至るまでの学生一人一人の葛藤が薄くて弱いために、
彼らの想いが、あの場面で一気に美しく昇華される・・といったような
はじけるような楽しさを味わえなくて、
何だかすごくもったいないと思ってしまいました。


脚本(高橋泉)も、演出(大谷健太郎)も、
あまりにも登場人物たちに優し過ぎた気がします。
青春ドラマではあっても・・いや青春ドラマだからこそ、
もっと厳しく、もっと容赦なく、
「大人の強さ・理不尽さ」をぶつけてやらないと、
少年たちがその大きな力に抵抗し、 跳ね返して行く、
さわやかで魅力的な「青春」特有のパワーを描くことは出来ない。
少年たちに寄り添うことは必要。
でも、それ以上に、彼らを大人と真剣に闘わせてやらないと、
結局、彼らは、居心地のいい繭玉を突き破って世の中に出ることが
出来ないままなのではないか、と。


ビート(瀬戸康文)と、父親・隼人(田辺誠一)の確執。
隼人に「大人の壁」としての存在感が与えられていなかったことが、
大人側の身としては、何だかすごく残念だった。
大人として、そうあっさりと子供に譲れないものがある。
汚くても、醜くても、生きて行くためにやらなければならないことがある。
少年たちの純真さとは正反対にあるもの。
そこをきっちりと描いてこそ、
ビートが立ち向かい、ぶち壊すべきものが、明確になったはずなのに・・


そして、そういう大人の理不尽さや傲慢さを、きっちりと演じてくれる、
それが、大谷監督が信頼した田辺誠一という俳優だったはずなのに・・


NANA2』にしても、『ジーン・ワルツ』にしても、
原作と変えた部分にこの監督らしさが出ていた気がして、
一般的な映画評とはちょっと違った感想を持ったのだけれど、
さて、この映画で、そういう部分があったのかどうか・・


田辺誠一さん。
役の上でも、また、俳優としても、
息子役の瀬戸くんと真っ向勝負して欲しかったです。
吉瀬美智子さんやRIKACOさんにしてもそうですが、
子供達に対して物分かりが良すぎて役としての歯ごたえがない、
そういうふうにしか描いてもらえなかったために、
演じ手としての魅力が浮き立って来なかったのが、すごく残念でした。
複雑で繊細な感情をちゃんと作り上げられる人だけに、
瀬戸くんに布地をあてて洋服に仕立てて行く指の動きがきれいだった・・
なんて感想しか浮かばないのが何とも切ない。


出演者の持ち味も、全体の空気感も、決して悪くなかっただけに、
もっともっと、登場人物たちを追い詰めて欲しかった、
何度も繰り返すようですが、
キラキラと眩(まぶ)しい青春ストーリーにして欲しかったです。


公開:2011年3月
原作:原田マハ 脚本:高橋泉 
監督:大谷健太郎 エグゼクティブプロデューサー:間瀬泰宏
キャスト
瀬戸康史 桜庭ななみ 桐谷美玲 IMALU 田中圭
加治将樹 小島藤子 水野絵梨奈
吉瀬美智子 RIKACO中村敦夫田辺誠一