『劇団☆新感線 三十年の疾走』(NHK BShi)感想

劇団☆新感線 三十年の疾走』(NHK BShi)感想
非常に密度濃い90分でした。
で、あらためて感じたのは、「新感線」=「いのうえひでのり」なんだな、と。
すべてはいのうえさんの掌(てのひら)の上のこと。
キャストもスタッフも・・要するに「劇団☆新感線」という劇団そのものが、
いのうえひでのりの「思い」を叶えるために存在しているんだ、と。
それは、客演も例外ではなくて。

 

なぜみんなが、それだけ いのうえさんの思い通りに動くのか、というと、
いのうえさんの言う通りにやっていれば、間違いなく面白いものになる、
ということを、肌で知ってるから。

 

口立てで稽古する中で、
実際にいのうえさんが見せてくれる演技がパーフェクトなので、
みんな、少しでもそこに近づこうと頑張るようになるんですね、自然と。

 

「おまえらは下手だから、芝居しようとするな、俺のやるようにやれ」
「役者が全部俺だったらいいのに」
等々のいのうえ語録は、「俺様」感がプンプン匂うけど、
でも、それも、口だけじゃなくて、凄いものをいっぱい持っている人だ、
ということを、キャストもスタッフも、また観客も、みんな知ってるから、
決して不快な言葉として聞こえて来ない。

 

演劇集団の中には、
どんどん洗練されて、きれいになって、様式美が出来上がって来て、
「芸術」と呼べるだけのクオリティを持つところも出て来る。
それ(ゲイジュツ)は、確かにひとつの到達点かもしれないけれど、
でも、そこを目指してしまうと、すべてに安定してしまい、
いい意味での猥雑さや破壊力を持ち続けることが
難しくなって来るのも確かで。

 

いのうえさんは、たぶん「安定」の怖さを知っている、というか、
そういうのが面白くない、と思ってるんでしょうね。
だから、「いのうえ歌舞伎」で一種の様式美が出来上がって来つつあると、
それをせっせと壊しにかかったり、
『鋼鉄番長』みたいなおポンチに全力投球したくなるんだろう、と。

 

その『鋼鉄番長』の稽古風景は、
演者にとって「本当に自分に出来ないことは何なのか」を突きつけられる、
非常にシビアな空気感に満ちていました。

 

特に、客演は、みんな無理難題を吹っかけられている、
池田成志さんも、坂井真紀さんも、そして田辺誠一さんも・・

 

特に、田辺さんに対するいのうえさんの口立ては、
ものすごく興味深かったです。
いきなり、いのうえさんが「てめぇこのやろうっ!」って怒鳴り始まった時の、
田辺さんのびっくりした表情が・・w

 

あの場面でいのうえさんが田辺さんに求めているのは、
田辺さん本人が「俳優・田辺誠一の中にはない」と思っているもの。
だけど、果たして本当にそうなのか・・?
それを、あらゆる場面で自分に問いかけることが求められるから、
きっと、すごくキツイでしょうね。
でも、それを突き破って、いのうえさんの通りにやって行くと、面白い、
ってのが分かってるから、とにかく頑張る。
無理しても、出来なくとも、下手でも、とにかく頑張る。

 

田辺さんだけじゃなくて、他の演者も、それからスタッフも、
いのうえさんの無茶振りに必死に食らい付いて、
いのうえさんの頭の中にある世界観を現実の舞台の上に作り上げようと、
必死に全力で汗かいて頑張る、
その「頑張る姿」に、お客さんはお金を払ってくれるのだ、と。

 

橋本じゅんさんや池田成志さんが降板した時に、
何とか回避出来なかったものか、と、残念に思ったけれど、
回避出来るだけの余分な力なんか残ってなかったんだろうな、
と、この番組を観て、思いました。

 

なんて壮絶・・
(『鋼鉄番長』、内容がめちゃくちゃ くだらないのに〜w)
でも、それこそが、いのうえひでのりの、劇団☆新感線の、
「演劇」なんだろうな、きっと。


14日の朝日新聞に、
7月に亡くなったつかこうへいさんの追悼記事が載っていました。
熱海殺人事件』で主演した、当時29歳の阿部寛さんに、
つかさんはこう言い放ったんだとか・・

「舞台見に来る人間は、役者の狂気に浸りたくて
わざわざお金払って来ているんだ。
とにかく狂え」


いのうえ演劇の肌触りも、
それに近いものがあるような気がします。

 

劇団☆新感線 三十年の疾走』(NHK BShi)再放送
11月21日(日)15:30〜17:00(90分)

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