「LOOK at STAR」(9月号)

「LOOK at STAR」(9月号)
『鋼鉄番長』主演の橋本じゅんさんと、ゲスト出演の田辺誠一さん、
そこに、作・演出のいのうえひでのりさんが緊急参戦wしての、
読み応えある対談になっていました。

何と言っても、橋本さんといのうえさんの田辺評というのが、
もう本当に、参りました!っていうぐらい、
的確にその魅力を捉えていて、読んでいて、溜飲の下がる思いがしました。


宮藤官九郎さんもそうですが、いのうえさんや橋本さんも、
田辺さんに対して本気で興味を示してくれているのが分かります。
で、彼らの言ってることは正しいんだけど、
それでも、まだ、田辺誠一の「核」には届いていない、
というようにも思えるんですよね。

彼らは、それを探り当てようとしている・・
その核を引きずり出そうとしている・・んだけど、
田辺誠一のすべてを、完全には掴まえ切れていない感じもします。
(いや、ひょっとしたら田辺さん本人でさえ掴まえ切れてないかも・・w)
だから、私なんかがどれだけ言葉を尽くしても、
追いつけないのは当然なんだな・・
感想を書いても書いても、書き尽せないのは当たり前なんだな・・
なんてことを思うわけですが。


橋本さんの、
「精神的に重力のかかっていない」
「変幻自在で独特」
「ひとつの流派の家元みたいな役者」
「しかも弟子は取らない一代限り」
「チャーミングな毒を感じる」
「いつも自由に受信しつつ、発信しつつ生きている」
等々の田辺評は、ものすごく興味深かったし、嬉しかったし、
何だかとても感動してしまった。

こういう角度からの見方というのは、同じ俳優だからこそ、
のようにも思うし、
橋本さんが持つ鋭い感性によるものだという気もします。


一方のいのうえさんは、
相当『ガラスの仮面』の印象が強かったようで、
田辺さんの速水真澄を観て、
「あれこの役こんなキャラだっけ?本気でやってる?」
「本人はちゃんとやっているし、原作をリスペクトしているし、
だけどなぜか毒がある」 と思ったんだとか。w


そうかぁ・・毒かぁ・・
まぁ、毒、というのとはちょっと違うかもしれませんが・・

特にマンガ原作のドラマに田辺さんが出演した時に、私が強く思うのは、
ビジュアルはマンガのイメージに近いのに、
中身がまるで違っている、と感じることが多い、ということ。

速水真澄(ガラスの仮面)にしても、
滝川幸次(月下の棋士)にしても、
遠峰一青(神の雫)にしても、
「(外見が)似ている」あるいは「イメージが近い」という
観る側の安心感を、回が進むにつれ どんどん裏切って、
二次元のマンガとはまったく違う魅力を持った、
中身も骨格も違う、三次元の田辺誠一版キャラを
作り上げてしまうのですよね。

そして、いつのまにか、
役の一番深いところにある「芯」を捉え、
田辺さん流の説得力で、観る側を強引に納得させてしまう・・・

結果的に、その「説得力のある裏切り」が、
外見に囚(とら)われている原作(マンガ)やドラマのファンに対して、
原作とは異なる新たな魅力を提示することにもなる・・・


でも、おそらく、田辺さん本人は、そんなことは考えていなくて、
自分なりに、真剣にリスペクトしつつ役を演じているだけ、
なんだろうとは思いますがw。


自身が持つ(あるいは演じることで生まれる)
繊細さや、純粋さや、優しさや、透明感や、美しさが、
原作(マンガ)とは違ったところで、違った形で、花開き、異彩を放つ・・
それが、田辺誠一という俳優の面白さなんじゃないか、と思うし、
私が10年以上追い続けるほど惹かれている
理由(の一つ)でもあります。


それから、毒、という解釈について、もうひとつ。

田辺さんが毒を持っているとすれば、
その毒は、周囲や観ている人たちにぶちまけてるんじゃなくて、
自分の内に向かって放(はな)っている・・
という気が、私はしています。
(特にマンガ原作の)役を演じる時に、
自虐的に役を捉えているように思えてならないんですよね。
役そのものに対しては愛情を注ぎながら、
役を演じている自分に対しては、
どこかシニカルな斜め目線で見ている・・というか。
そうすることで、役と自分との遠い距離を、
埋めようとしているのではないか、と。

・・・もちろん、これらはすべて私の妄想でしかありませんが。w


対談の段階では、まだ、
田辺さんの役柄は決まっていなかったみたいですが、
いのうえさんが感じた「田辺誠一の毒」を、
このはっちゃけネタもの芝居にどう練り込ませてくれるのか、
そして、田辺さんが、いのうえさんのその思惑に乗って来るのか、
それとも、まったく違う役作りをして来るのか・・
『鋼鉄番長』で、その結果を観るのが、楽しみです。