『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』:8(千秋楽に寄せて)

『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』:8(千秋楽に寄せて) 
私は、武市半平太という人物を、あまりよく知りません。
もともと、岡田以蔵や、坂本龍馬ほどの興味も持っていなかったし、
正直、私の乏しい歴史の知識だけでは、
十分納得の行く「像」を結べなかった人物でした。


けれども、今回『IZO』を観て、私は、
「ひょっとしたら武市半平太って‘こういう人’だったんじゃないだろうか」
と、初めて、自分なりの武市像を結ぶことが出来たような気がします。


武市が、当時何を考えて生きていたのか、
もちろん、現代に生きる私たちの誰にも、理解することは出来ない。
出来ないのだけれども、その生きざまを史実に追い、
自分の想像を重ね、愛することで、
心に感じ、受け止められるものは、確かにあるのかもしれない、
と思うのです。


脚本家と、演出家と、演者が、それぞれの想像力と創造力を駆使して、
力を合わせて「武市半平太」を作り上げて行く・・

それは確かに彼らの「想像」でしかないのだけれども、
その「想像」という<愛>で作り上げた武市半平太という歴史上の人物を
舞台の上でまっすぐに息づかせようと努力したことによって、
私たちの、この、遠い未来の時代に、
まぎれもなく「生きている人間の鼓動」を伝えてくれていた、
という気がしてなりません。


少なくとも私にとって、
森田剛によって演じられた岡田以蔵が、
        歴史上の以蔵の姿に重なったように・・
池田鉄洋によって演じられた坂本龍馬が、
        歴史上の龍馬の姿となり、
粟根まことによって演じられた勝海舟が、
        歴史上の勝海舟の姿と重なったように・・
田辺誠一によって演じられた武市半平太が、
        歴史上の武市半平太の姿、となりました。


間違っているかもしれないけれど、
本当の姿ではないのかもしれないけれど、
私は、青木豪といのうえひでのりによって描かれ、
田辺誠一や、森田剛や、池田鉄洋や、粟根まこと達によって
現代に命を与えられた武市や以蔵や龍馬や勝が、
以前よりも、もっともっと好きになったし、
もっともっと彼らを理解したい、と思うようにもなりました。

自分ではない「誰かの人生を生きること」は、
俳優にしか出来ないのだなぁ、と、改めて、そんなことも感じました。


2008年2月19日、『IZO』千秋楽。
この舞台に係わったすべての人に、心からの拍手を―――!



―――そして、今、幕が下りて思うことは・・・

武市半平太が、田辺ファンに、
さまざまな感動や感慨や幸福感を与えてくれ、
田辺さん自身に、大きな財産を与えてくれたとしても、
田辺誠一という俳優にとっては、きっと、これもまたひとつの通過点。

田辺誠一をナマで観た感動」よりも大きな、
武市半平太から受け取った私の「心の収穫=宝物」は、実は、
「俳優・田辺誠一の今後がおおいに楽しみに思えたこと」
であったりする、どこまでも へそまがりで貪欲な私なのです。(笑)