『荒神〜AraJinn〜』感想:11

 風賀風左衛門が 田辺誠一に もたらしたもの 。
風左衛門を観て一番強く思ったのは、
この役を演じたことで、田辺さんの俳優としてのキャパシティが
格段に広がったのではないか、ということでした。

これまで、非常に繊細な二枚目から、突拍子もない三枚目まで、
ものすごく広い範囲の役どころを数々演じて来たけれど、
そのひとつひとつの役が、
点と点として、田辺誠一という俳優の輪郭を形作って来た今までと違い、
この役は、「フィールド」として(点ではなく面として)、
俳優・田辺誠一としての受け皿を、一気に広げてくれたような、
そんな感じがしました。

 

一角やナビオで、
複雑な色味を持つ自身の魅力を確実なものにして来た彼が、
その後にこの風左衛門を与えられ演じたことは、
ただ、今まで演じなかったような役を演じた、引き出しがひとつ増えた、
というだけでなく、
30代半ばの俳優が、これからどういう方向に進んで行くか、
どういう自分を表わせばいいか、の、
ひとつの「試金石」になったようにも思うのです。

 

彼が風左衛門で演じた「強さ」は、
今後、彼が数多く演じるであろう、主人公と対をなす
魅力的な(大人の)主要人物、として、
必要欠くべからざるものになるに違いない、と言ったら、
言い過ぎでしょうか。

 

しかし、田辺さんが持つ、
初々しさ、繊細さ、切なさ、優しさ、ひたむきさ、等が、
今までのように、ナマのままストレートに表現されるのではなく、
「強さ」という「芯(核)」の上にヴェールをまとうように表現された時、
そのコントラストの美しさ、というのは、今までの比ではないだろう、と、
風左衛門を観て、そんなふうに十分想像出来た、確信出来た、
のも、また事実なのです。

風左衛門はきっと、他の俳優が演じても、
とても魅力的であったに違いありません。
主人公・ジン(森田剛)と対極にいる、強くて悪い風左衛門は、
演じる前から、すでに、おいしい役だったのです。

 

けれども、それを、田辺誠一という俳優が演じた時、
風左衛門の「強さ」は、弱さを知った強さ、痛みを知った強さ、であり、
アルゴールの上に描き出された「甘やかさ」は、また、
彼独特の色合いを帯びた哀しみや切なさを含んだものであった、
とも思います。

風左衛門が、ただ強いだけでなく、ただ悪いだけでなく、
観る者の心を強烈に惹きつける、とても魅力的な人物になっていたのは、
脚本や演出が求めていた以上に、
田辺誠一が作り上げて行った「風左像」が、
魅力的であったからに他なりません。

 

田辺誠一の、揺らぐ部分と、揺らがない部分。
どちらも魅力的なそのふたつを、同時に現出させた、と思われた、
風左衛門・・・
そこに感じられる気がした、俳優・田辺誠一の「意思」のようなもの・・・

それは、田辺誠一という俳優が役の上に描き出して行く「魅力」が、
他の俳優とは明らかに異なる、
独特の「味」と「深み」を完璧に備えて行く予兆、なのかもしれないし、
田辺誠一という俳優のキャパシティが、今後、
限界を知らないほどの広がりを見せ始める予兆、なのかもしれない。

 

いずれにしても、それが「夢」ではなく、未来への「確信」として、
私たちにひしひしと伝わって来るような気がした、
たぶん永遠に忘れられない役になるだろう、
田辺誠一の風賀風左衛門、でありました。