心に残った言葉

心に残った言葉
大森美香さん(脚本家)と岡室美奈子さん(早稲田大学教授)
『それでも愛は永遠に』(朝日新聞1月1日付けの対談)より抜粋。
大森(美香)「心の機微を特に楽しめるのが恋愛ドラマだと思うけど、
今のテレビからは拾いにくくなっているかも。
作り手は集中して画面を見てもらえているか不安で、
表情やしぐさで伝えるよりは、せりふで「好きだ」と言わせてみたりする。
微妙なニュアンスで伝えることを恐れているかも。」
岡室(美奈子)「私はやっぱり、細やかな日常の中にある
恋愛ドラマを見たい。
でも今は「日常」とか「普通」を描くのは難しくなってますよね。」

 

大森「いま作られているドラマは、わかりやすさに走って、
視聴者に想像力を喚起させないものが多いですよね。
難病を絡めた恋愛ものもそう。」
岡室「そうそう、そこなんですよ。想像力にフタをしちゃう。
今は価値観が多様化して誰かを理解することが簡単じゃない時代。
想像力がとても必要とされている。
恋愛は他者に対する想像力を身につけていく回路だし、
だから恋愛ドラマには可能性があると思うんですよ。」

 

ああもう本当に、誰か骨のある大人のラブストーリーを書いてくれ!
そして、力のある俳優さんに演じさせてくれ!頼むから!
と思い続けて何年経つものやら。(苦笑)
恋愛ドラマばかりじゃない、今のTVドラマって本当に薄っぺらなものが多い。
この対談を読んで、その理由が、何となくわかる気がした。
ドラマ制作者よ、もっと視聴者を信用してくれよ、と言いたい。
そんな簡単にわかりやすくしなくったって、
内容が深くて見応えがあれば、
私たちはちゃんと観て理解しようとするんだから。

 

でも、こうやって、内部から変えようとする意志を持つ人が出て来た、
ということは、少しは期待していいのかな。
実際、いくつかのドラマに、危機感を持って作っている、
と感じられるものも出て来たような気がするし。
ようやく変わって行く兆しが見え始めた、ということなのかもしれない。


大森寿美男さん(脚本家)
TAROの塔』公式サイト・スタッフからのメッセージより抜粋。
なぜ「岡本太郎」の言葉は時代背景を無視して人の心に響くのか。
それはその冷たさにある。「今日の芸術」の書き出しにあるように、
芸術は人から「聞いたり、教わったりするんじゃなく、自分自身が発見する。
自分の問題として」あり、
常にそこへ「岡本太郎」が挑発してくるからに違いない。
それ以来、自分の中には一人のTAROが誕生した。

 

*そのTAROは実物の「岡本太郎」とは無関係であり、確かな一部である。
*そんな一部を持つことが、おそらく正しい「岡本太郎」の知り方で、
*世の中にはそんな一部が無数にあって、マトモに全部を知る必要など
*感じていないのではないか。
*ここに描かれている「岡本太郎」は全部ではない。
*それどころか、全く違う可能性だってある。
*しかし、それもやはり一部なのだ。

 

太陽の塔がそうであったように、初めは多くの人に馬鹿にされても、
時代を超えて深い印象を残し続けられるような、そんなドラマになればと
マトモに思っている。
*たとえそれが嘘でも、本当の「岡本太郎」は、ドラマを観た人の中で、
*それぞれ勝手に自分の問題として広げてゆくものだと思うから、
*何も恐れることはない。

 

これ(特に*部分)は、私としては、
勝手に心強い励ましの言葉として受け取ってしまった。
岡本太郎田辺誠一に、TAROをTANABEに、
勝手に置き換えて読んだ。
まったくもって不遜極まりない・・だけど、
私が観て感じた「田辺誠一」は、
たとえ実物の田辺誠一とは違っていても、たとえ誰の共感を得られなくとも
田辺誠一」の一部には違いないのだ、と、
そう背中を押してくれる人がいた(と私が勝手に感じただけだが)ことが、
本当に嬉しかった・・というより、ホッとした。

 

うん、だからまた私は≪翔夢≫を続けて行ける。