心に残った言葉
★大森美香さん(脚本家)と岡室美奈子さん(早稲田大学教授)
『それでも愛は永遠に』(朝日新聞1月1日付けの対談)より抜粋。
大森(美香)「心の機微を特に楽しめるのが恋愛ドラマだと思うけど、
今のテレビからは拾いにくくなっているかも。
作り手は集中して画面を見てもらえているか不安で、
表情やしぐさで伝えるよりは、せりふで「好きだ」と言わせてみたりする。
微妙なニュアンスで伝えることを恐れているかも。」
岡室(美奈子)「私はやっぱり、細やかな日常の中にある
恋愛ドラマを見たい。
でも今は「日常」とか「普通」を描くのは難しくなってますよね。」
大森「いま作られているドラマは、わかりやすさに走って、
視聴者に想像力を喚起させないものが多いですよね。
難病を絡めた恋愛ものもそう。」
岡室「そうそう、そこなんですよ。想像力にフタをしちゃう。
今は価値観が多様化して誰かを理解することが簡単じゃない時代。
想像力がとても必要とされている。
恋愛は他者に対する想像力を身につけていく回路だし、
だから恋愛ドラマには可能性があると思うんですよ。」
ああもう本当に、誰か骨のある大人のラブストーリーを書いてくれ!
そして、力のある俳優さんに演じさせてくれ!頼むから!
と思い続けて何年経つものやら。(苦笑)
恋愛ドラマばかりじゃない、今のTVドラマって本当に薄っぺらなものが多い。
この対談を読んで、その理由が、何となくわかる気がした。
ドラマ制作者よ、もっと視聴者を信用してくれよ、と言いたい。
そんな簡単にわかりやすくしなくったって、
内容が深くて見応えがあれば、
私たちはちゃんと観て理解しようとするんだから。
でも、こうやって、内部から変えようとする意志を持つ人が出て来た、
ということは、少しは期待していいのかな。
実際、いくつかのドラマに、危機感を持って作っている、
と感じられるものも出て来たような気がするし。
ようやく変わって行く兆しが見え始めた、ということなのかもしれない。
★大森寿美男さん(脚本家)
『TAROの塔』公式サイト・スタッフからのメッセージより抜粋。
なぜ「岡本太郎」の言葉は時代背景を無視して人の心に響くのか。
それはその冷たさにある。「今日の芸術」の書き出しにあるように、
芸術は人から「聞いたり、教わったりするんじゃなく、自分自身が発見する。
自分の問題として」あり、
常にそこへ「岡本太郎」が挑発してくるからに違いない。
それ以来、自分の中には一人のTAROが誕生した。
*そのTAROは実物の「岡本太郎」とは無関係であり、確かな一部である。
*そんな一部を持つことが、おそらく正しい「岡本太郎」の知り方で、
*世の中にはそんな一部が無数にあって、マトモに全部を知る必要など
*感じていないのではないか。
*ここに描かれている「岡本太郎」は全部ではない。
*それどころか、全く違う可能性だってある。
*しかし、それもやはり一部なのだ。
太陽の塔がそうであったように、初めは多くの人に馬鹿にされても、
時代を超えて深い印象を残し続けられるような、そんなドラマになればと
マトモに思っている。
*たとえそれが嘘でも、本当の「岡本太郎」は、ドラマを観た人の中で、
*それぞれ勝手に自分の問題として広げてゆくものだと思うから、
*何も恐れることはない。
これ(特に*部分)は、私としては、
勝手に心強い励ましの言葉として受け取ってしまった。
岡本太郎を田辺誠一に、TAROをTANABEに、
勝手に置き換えて読んだ。
まったくもって不遜極まりない・・だけど、
私が観て感じた「田辺誠一」は、
たとえ実物の田辺誠一とは違っていても、たとえ誰の共感を得られなくとも
「田辺誠一」の一部には違いないのだ、と、
そう背中を押してくれる人がいた(と私が勝手に感じただけだが)ことが、
本当に嬉しかった・・というより、ホッとした。
うん、だからまた私は≪翔夢≫を続けて行ける。