『TAROの塔』(第3回/戦友)感想
う〜ん、やっぱり凄いなぁ、このドラマは!
1回から4回まで合わせても、わずか3時間半ぐらいしかない。
それなのに、「岡本太郎」という人間の生涯を、
周囲にいる人たちを含めて、こんなに密度濃く描いてくれる。
たとえば、大河ドラマが1年かけてやる・・というか、
1年かけてさえ、十分に描き切るのが難しいかもしれないことを、
わずか4回にギュッと凝縮して魅せてくれる。
3回〜4回を通して一度、
引き続き、3回を二度観直したけれど、
こんなに何度観ても面白いドラマは、本当に久しぶりです。
最近では、『空飛ぶタイヤ』と『神の雫』ぐらいでしょうか。
まぁ、『神の雫』は、内容的には薄いところが多々あって、
ただ田辺誠一さんの ‘なりきり一青’観たさに何度もリピしてただけ、
と言えないこともないけれどw、
『空飛ぶタイヤ』は、内容も、俳優さんたちの役の掴まえ方も、
本当に素晴らしかった。
そういう作品に出会えることは、
ドラマ好きにとって、本当に幸せなことだと思います。
この『TAROの塔』もまたしかり。
さて、第3回は、
戦争が始まって、太郎が日本に戻って来るところから始まります。
戦時中の太郎を演じている濱田岳くんから、
戦後の太郎を演じる松尾スズキさんへの移行がスムーズで、
すんなり違和感なく入って行くことが出来ました。
そして、ほどなく、
生涯のパートナー・敏子(常盤貴子)との出逢い・・
以後、どちらかと言うと、敏子目線で、
二人の不可思議な関係が描かれるのですが、
それが、このドラマに、2回までとは違った視点をもたらしていて、
新たな面白さに繋がっていたように思います。
敏子がリスペクトし、太郎に興味を持つきっかけともなった、
太郎の亡母である作家・岡本かの子(寺島しのぶ)の存在。
彼女の強烈な個性と思想が、今も、太郎を侵食している。
そのことが、敏子と、他ならぬ太郎自身を、長い間苦しめることになります。
太郎が「同志」と言ってはばからないほどの、
母親・かの子との強い繋がりは、
彼女の死後もなお、太郎の中にしっかりと生き続けているのですが、
それゆえにまた、「一流の画家でなければならない」という
呪縛から、どうしても逃れられない・・
戦争に負け、0(ゼロ)になってしまった日本は、
すべてに「non!」を突きつけられた状態に他ならない。
心のどこかで望んでいたはずのそんな世界に、
ゲイジュツカとしての居場所を何とか見つけ出そうとしながら、
一方で、深い闇に取り込まれてしまう太郎。
「絵なんか描かなくたって俺なんだ、
絵描きでなくたって岡本太郎でいたいんだ」という太郎の葛藤は、
そのまま、彼の間近にいる敏子にも伝播し、
彼女は、自分が、太郎の中に
どういう存在価値を見出して行けばいいのか、悩みます。
・・このあたりまで、すごくテンポが速い。
だけど、伝わって来るものは確かで、深いです。
ただ・・
太郎と敏子の関係性が密になるにつれて深まる苦悩を、
松尾スズキさん、常盤貴子さんが、
俳優としての感性をフルに使って浮き上がらせ、
カメラがまた、
そんな二人の表情を余さずすくい取ってくれるものだから、
観ているこちらまで追い詰められているような気がして、
非常に息苦しかったのも確かで。
そんな時、敏子は、太郎とともに、
太郎の父・一平(田辺誠一)を訪ねるんですが・・
いや〜、ここで一気に息がつけましたね、私は。
身も心も軽くなった気分になれたw。
かの子の死後、
ごく普通の女性と再婚し、岐阜に疎開した一平は、
子供を4人ももうけ、日焼けした顔で、
「身を削るような‘芸術’」とは縁遠い田舎暮らしを満喫!w
あのダンディな一平さんはどこに行ったんだよ〜!
かっこいい一平を返せ〜!(私の心の叫びw)
しかし、そんな一平を、
決して「けしからん」とは思えなかった。
かの子との日々が、自分の一生分を使い切る程に密度濃く、
何もかもやり尽くした、と思えたからこそ、
彼女が亡くなった後は、
未練なく、スッパリと新しく生き直そうと思えたんじゃないか、と。
敏子は、そんな一平から、
芸術家である(あろうとする)パートナーへの向き合い方を、
こう諭(さと)されます。
「どんなに寄り添っても、向こうは孤独のままだからね。
それを解消する道はひとつしかない。
私は、最終的に、自分以上に作家の岡本かの子に賭けたんだ。
そして、私が賭けた岡本かの子に、かの子自身も賭けた。
そうやって、ひとつのものに賭けるしかないんだよ。
生身の人間関係を捨てて、
同じ作家として、彼女のためなら死をもいとわない覚悟をしたんだ。」
「生身の男と女では愛し合えないんですか?」
「結局、人の愛し方というのは、
その人間の意志というより、能力によって決まるんだ。
たとえどんなに努力しようと、
その人間にしか出来ない愛し方をするより仕方ないんだ」
このシーンがとても好きでした。
――「作家・岡本かの子」は、かの子だけでは成立し得なかった。
一平の存在があって初めて完成した――
一平には、その穏やかな自負と、かの子との思い出さえあれば、
芸術に何の未練もなかったんでしょうね。
かの子が生きていた間、彼が心に燃やし続けた芸術に対する情熱の炎は、
かの子の死とともに、静かに鎮火した、ということでしょうか。
一平の、重荷をすべておろして清々と生きるさまは、
それまでの張り詰めた場面の連続から
一時(いっとき)だけ解放されたような弛緩があって、
太郎と敏子を至近距離で追いつめる前半と後半に挟まれた、
つかの間の安らぎタイムにもなっていたような気がします。
以後、敏子は太郎の言葉を写し取ることに専念、
傑作と言われる「今日の芸術」を上梓。
それでも、太郎の中のかの子を越えることは出来ず、
自分は何をしても太郎の秘書にしかなれない、
(それ以上太郎に近づくことが出来ない)
という苦悩を抱え続けます。
徐々に、太郎に対して憎しみさえ芽生えさせて行く敏子。
「太郎さんを好きでなければ、太郎さんの絵も好きになれない。
岡本太郎の芸術は岡本太郎そのものなんだから!」
「だったら殺せ!」という太郎の顔に、黒い絵の具を塗りたくり、
新しい「岡本太郎」を二人で作って行く覚悟を決めます。
「私は、人生から、結婚と生身の愛情を捨て去る覚悟をした。
岡本太郎を 共に作る覚悟をしたのだ」――
いや〜、今回も、本当に53分の内容なの!?
ってぐらい密度濃かったです。
おかげで感想書くのに えらく時間がかかってしまった。
俳優さんたちについて。
松尾スズキさんの太郎には、
どんなに自信に満ちた力強い言葉を発しても、
見せかけの陽の中に滲む‘陰’があり、
確実な着地場所を見出せない浮遊感があり、
実際の太郎もそうだったんじゃないか、と思わせるものがあって、
そこが、私には、非常に魅力的に思えました。
対する常盤貴子さんがまた、
ものすごく役に入り込んでいて、
某大河ドラマや某2時間spドラマは、
この人の真の魅力を何ひとつ捉えてはいなかったんじゃないか、
と思えるぐらい素敵で、
私としては、この役は、彼女の代表作のひとつ
と言ってもいいんじゃないか、と思いました。
さて、田辺誠一さん。
陽に焼けて、シミだらけになって、
松尾スズキさんの父親、というかなり無理のある設定なのに
たいした違和感もなく・・w
・・もう一回言わせて!
岡本かの子を支え続け、愛し続け、
彼女の死の際には、赤い薔薇を買い占めて棺を満たしたという、
ダンディでかっこいい一平はどこ行ったんだよ〜!(爆)
う〜ん・・しかしその一方で・・
一平の この身軽さ、柔軟さ、洒脱さ、
さらにその奥にある翳(かげ)りや、一心一途な愛し方・・
‘だからこそ’の田辺誠一だったのだなぁ!と、得心もするのですよね〜。
敏子の苦悩を描くことによって、
一平の、描かれなくて物足りなく感じていた部分が徐々に埋められて行く・・
彼もまた、敏子と同じように苦しみ、悩んでいたに違いない、と、
やっと、飛び飛びにしか描かれなかった一平の全体像が、
見えて来たようにも思えました。
そうして・・
太郎とかの子が「同志」なら、
かの子と一平、太郎と敏子は一体何なのか。
考え続けて辿り着いたのが・・
今回のタイトルにもなっている、「戦友」という言葉でした―――
以下、閑話。
非常に近しく強い繋がりを持ちながら、
男と女の関係を超越しようとする、その姿を観ているうち、
『エースをねらえ!』と共通するものを見出した気分になった、
少女マンガ(昔の)好きのワタシw。