『小公女セイラ』(第1話)感想

小公女セイラ』(第1話)感想
いや〜思いっきりがいいですねぇ!
たしかに「現実にはありえねー とんでもねー話」wなんだけど、
脚本(岡田恵和)にも、演出(金子文紀)にも、そして俳優陣にも、
そのありえない設定を、観る側に納得させてしまうだけの、
思いっきりのよい、半ば強引とも言える説得力があって、
引き込まれてしまいました。

 

とにかく、志田未来樋口可南子斉藤由貴という3人の女優さんが、
本当に素晴らしい!
マンガチックにデフォルメされたこのドラマが、
観る者を引き付ける魅力を持っているのは
ばかばかしくても、くだらなくても、嘘っぽくても、
少なくとも、演じている彼女たちが、そう思って演じていないから、
なんでしょうね。
本気でその役になりきろうとし、
本気で、そうなるためにはどうしたらいいか、考えて演じている。
とんでもない設定に対して、照れや恥じらいがなくて、吹っ切れてるから、
観ていて気持ちがいいですし、それこそが、
こういうベタドラマに息を吹き込む、大事な要素なんじゃないか、
とも思います。
(先般『ガラスの仮面』の再放送を観ていて、
安達祐美さん(マヤ)、野際陽子さん(月影)、藤真利子さん(マヤの母)
という女優3人の、役への 尋常でない のめり込み方に、
すごく惹かれたのを思い出しました)

 

今回、特に好きだったのは、
学院長室での千恵子(樋口)と笑美子(斉藤)のやりとり。
要するに、これは、ツッコミとボケなのではないか、とw。
千恵子は、ことごとくセイラにつらくあたるけれど、
ものすごく非道だとか、悪辣だとか、そういう感じがしないんですよね。
生々しい いじめの陰湿さがない、というか。
感情を爆発させて、ヒステリーになっても、どこかドライなのは、
セイラにぶつけた感情が、自分に跳ね返って、
結局、彼女自身が傷ついてるような気がするから。
根っからの悪人ではないから、
彼女がセイラに対して感情をぶつければぶつけるほど、
彼女が哀れに思えてしまう。
そんな千恵子に対し、笑美子のふわんとしたやわらかさが、
クッションになっているようにも思えます。
とにかく、いいコンビ。

 

セイラ(志田)は、最初の一声ですべてが決まった感じ。
みんなにちやほやされて自分では何も出来ない深窓の令嬢、というよりは、
むしろ、しっかりした現実的な力強さを持っている女性、
という印象が強かった。
だから、後半、不幸を背負い込んだ彼女に対して、
いったいこれからどうなってしまうんだろう、という心配より、
どうやって立ち直って行くか、のプロセスを
楽しみに出来るような気がしました。
そしてそれは、このドラマの主人公に志田さんを据えた磯山晶Pの、
思惑通りでもあったんじゃないか、とも思いました。

 

今後、セイラを励まし、自分も励まされて行くであろう、
苦学の使用人・カイトは、
映画で何本も主演を張って来た、林遣都くん。
もうね、彼の佇(たたず)まいがすご〜く好きな私としては、
ただセイラの傍にいてくれるだけでいいです、って感じですがw
それだけじゃ、あまりにももったいない。
この人が内在させている新たな魅力を、ぜひ、引き出して欲しい。
スタッフにも、本人にも、期待していますし、
志田さんと、どんなケミストリーを起こしてくれるか、も、楽しみです。

 

さて、田辺誠一さん。
亜蘭由紀夫なんて名前のフランス語教師って、どうよ?と、
ちょっぴり不安でしたが、
もうもう・・笑っちゃうほど「亜蘭先生」でしたね。(爆)
以前、『花より男子』で、花沢類を演じた小栗旬くんが、白いタキシード姿で
つくし(井上真央さん)に手を差し延べるシーンを観ていて、
「絵に書いたような二枚目」ってこういうことを言うのよねぇ、
と思ったことがあって、
田辺さんでそういう二枚目を観たいと思っているわけではない、
みたいなことを、自分のBBSに書いたことがあるのですが、
いや〜、亜蘭ったら(呼び捨てw)
ほんとに「絵に書いたような二枚目」じゃないですか。
もちろん、20歳そこそこだった小栗くんと、40歳の田辺さんを、
同じ秤(はかり)に掛けちゃいけないけど(爆)
もう、どこまでもひたすらスイ〜〜〜トな あの亜蘭先生を観てたら、
絶対にこういう役をそういうふうには演じてくれないだろう、
という、私の田辺概念が、またしてもぶち壊される結果になって、
「うわ〜!田辺誠一もここまで来てしまったか・・!」と、
ただただ感慨深し。
まったく、遠峰一青(@神の雫)といい、
最近のこの人の役造形の飛躍の仕方は、半端じゃありませんw。

 

しかも、この亜蘭先生には、今のところ見事に「芯」がない!(爆)
つまり、今後、どのようにも調理のしようがあるわけで、
基本的には、佐野先生(@ふたつのスピカ)のように、
主人公を支える立場だとしても、
どういうふうに、セイラや、千恵子や、あるいはこの学院に
関わって来るのかがまったく読めないので、
これからの展開が、非常に楽しみになって来ました。
セイラが困った時に救いの手を差し延べる、ってだけじゃ、
田辺誠一を使った意味がないだろう、
岡田×金子×磯山なら、予想もしない使い方をしてくれるんじゃないか、
と、ファンとしては、ついつい期待してしまうのでw。
・・・いや、でも、この感じで、フワフワした亜蘭先生のまま最後まで行っても
それはそれでOKと思ってる、予防線張ってる自分がいるのも
確かなんですが。
(どんだけ痛い目に遭って来てるんだかw)

 

いずれにしても、ドラマはまだ始まったばかり。
「小公女」という名作を叩き台にして、
何を、どんなふうに伝えようとしているのか、
まずは、スタッフ・キャストのお手並み拝見させていただきたいと思います。
(思いっきり 上から目線w)


★ご参考までに―――――――

ベタドラマとは・・        投稿日:2007年 4月22日(日)  翔


私・翔が考える「ベタドラマ」とはこういうもの、というお話を少し。


はてなダイアリーで「ベタ」を調べてみると、
<繰り返し語られ、使い古され、ありきたりな>と書いてあります。
私は、「ベタドラマ」という言葉を使う時、
そういう いわば「お約束の展開」に、
「物語の誇張」や「リアリティの薄さ」が、自然に、時に不自然に(笑)
挿入されたドラマ、というような意味合いで使っています。


自然な状況や流れ、といったものを、時に無視して、
登場人物(特に主人公)の行動や感情を優先する。
それは、確かに、嘘くさいもの、ではあるのだけれども、
でも、だからこそ描ける何か、があるのも、
確かなことのように思うのです。
普通ならとても出来ないような、言えないようなことも、
ベタドラマなら、やれたり言えたりする。
そこに、観る人間の、密やかで優しくて甘美な「夢」が、
逆に、リアルに描き出されることもあるような気がするのですが、
皆さんはどうお思いでしょうか。