『気骨の判決』感想

NHKドラマスペシャ『気骨の判決』感想
原案は、清水聡の「気骨の判決〜東条英機と闘った裁判官」。
実在の人物・吉田久を主人公に、実際の出来事を題材にしています。
ドラマとしては、劇的に大きな事件が起きるわけでも、
派手な動きがあるわけでもないけれど、
淡々と流れる時間の中で、しみじみとこちらに伝わるものがあり、
特に、俳優陣の落ち着いた抑えた演技は素晴らしく、
とても観ごたえがありました。


最初は、戦時中のドラマにしては、登場人物が皆、
質素ではあれ、きれいなものを着ているし、ちゃんと食べているし、
断片的に差し込まれる出征や竹槍のシーンが唐突に感じられ、
全体に「悲惨な戦争の真っ只中」というリアリティが希薄に思われて、
正直、ちょっと違和感があったのですが、
観ているうちに、これは60数年前のあの「特別な時代」ではなく、
今現在にも十分通じる話で、だからこそ、美術背景としては、
「戦時中」という空気を、ことさらには強調しなかったのではないか、
大事なのは「戦争」というものの安易な視覚化ではなく、
あの時代にも、現代にも、いつの時代にも通じる、
自分の仕事に実直に向き合うことをひそかな誇りとする人間の、
その誇りを賭けた闘いを描くこと、だったのではないか、
という気がしました。


このドラマに描かれている吉田久は、
「気骨」とか「東条英機と闘った」とかの勇ましい形容詞が似つかわしくない
とても温和で、ちょっとユーモラスなところのある人ですが、
一方で、彼の中にはまた、裁判官として「決して譲れないもの」があって、
その「芯の堅さ」が垣間見えた時々に、
彼の人間性がひしひしと伝わって来たように思います。


ドラマの最初の方で彼自身が語った
「判事としての仕事を全(まっと)うする」という言葉。
これこそが、終始一貫して彼の芯をつらぬいていた信念であり、
その信念の前には、戦争も東条英機もなく、
おしなべて「法に照らす」ことで、弱者を救う・・
と言うよりは、弱者もまた一人の人間として扱おうとした・・
すべての人に法の光をあて、
一人一人が「法の下に平等」であって欲しい、と強く願っていた・・
非常に誠実に、頑固に、自分の仕事をやり遂げようとした人
だったのではないでしょうか。


それは、しかし、翼賛を支持した側の人間も同じことで、
鹿児島県知事・木島(篠井英介)や国民学校長・伊地知(國村準)にしても
それぞれの立場に則(のっと)った、それぞれの主張や思想があるわけで。


木島の言動など、判事側からしたら、本当に憎々しいのだけれど、
それでも、彼を単なる「悪役」と言い切れないのは、
彼なりの信念に従って行動している、ということが、
如実に伝わって来たから。


伊地知になるともっと複雑で、
木島と違って、言葉にしていることと、内心に抱えている感情との間に、
かなりの揺れがあって、
彼自身、迷い、悩みながら、自分の言動を慎重に選んでいる・・
それは、彼自身の保身のためではない、
みんなが幸せになるためにはどうしたらいいのか、
その道筋が見つけられないから、悩んで苦しんでいたんだろう、と。


おそらく、吉田は、こういう人をこそ救いたかったに違いない、
伊地知が護ろうとしていたものをこそ、
法の力で、護ってやりたかったに違いない、
虐げられたキク(京野ことみ)を裁判で救おうとしたように。


吉田にとっては、翼賛選挙にからむ裁判も、キクの認知訴訟も、
どちらも、裁判官として軽んじることの出来ないものであり、
その「法の精神」が、外圧によって歪められた時に、
静かで激しい怒りを覚える・・
彼が「気骨」を持っていたとすれば、そういう内面の部分・・
誰かに向かってぶつけられた、というよりも、
自分自身に向かって糺(ただ)された正義、と言っていいのかもしれません。


そういった吉田の抑制された感情が、
小林薫さんの、揺らぎのないおちついた演技によって、
確実に正確にこちらに伝わって来る・・
ドラマ好きな人間にとって、
そういう、演技臭さの感じられないリアリティのある人物描写
を見せてもらえるのは、この上なく嬉しいこと。


それは、篠井さんや國村さんにも同様に感じられたことで、
脚本や演出が輪郭を型取った人物像に、演じ手が魂を注ぎ込む、
実力のある俳優の持つ想像力(役の膨らませ方)と創造力(演じ方)に、
改めて脱帽&堪能させてもらいました。


他には、吉田の妻・節子(麻生祐未)の、
おっとりした明るさを おそらくは演じているのだろう けなげさや、
下司法大臣(山本圭)の、手がつけられない困った奴と思ってるのだろう
吉田へのあてつけがましい言い回しや、
児玉大審院長(石橋蓮司)の、
中間管理職的なかすかな迷いや揺れを含んだ数々の発言、等々、
それぞれの人となりが、きちんと伝わって来て、
立場や思想の違いがどうであれ、納得出来るものがあって、
観ていて、自然とその人間性に惹き込まれました。


さて、田辺誠一さんが演じた西尾智紀。
陪席判事の中では一番若く、言動もはっきりしているので、
熱しやすい男のように見えるけれど、
激昂する場面でも、感情を全部吐き出さない・・
「鹿児島に行きましょう」とか「木島県知事、証人尋問やります」など、
かなり大胆なことを言っている場面でも、
全然気負っている感じがしない・・
全体を通して、かなり抑制が効いているように感じられたのは、
脚本・演出の妙か、あるいは、
演じ手がずいぶんと「大人」になったせいでしょうか。w


私が好きだったのは、児玉の部屋で辞令を受けるシーン。
ぐっと身体に力が入った硬い様子に、
逃げおおせない立場に追い詰められた人間の言い知れない怒りが
表現されていたように思えて。
この時の小林さんの研ぎ澄まされた演技と絡めて観ると、
なおさら心に響くものがあって、非常に印象に残りました。


最後の、吉田との別れのシーンもすごく良かったです。
シンガポールといえば、激戦地。
そういう土地に出向く西尾と、送り出す吉田、
かわす短い言葉の中に、お互いへの信頼や、尊敬や、
年齢を越えた友情や、
そういう二人の間の清澄な空気が しっとりと伝わって、
見ごたえがありました。


ただ・・
やはり、小林さんや、篠井さん、國村さんらと比較すると、
田辺さんには、まだまだ滑らかさが足りない。
アップになった時の表情など、とてもいいと思うのですが、
これだけアップが多用されていると、
眉や口許のほんのかすかな動きまで隙(すき)なく演じないと、
観ていてザラつきが感じられてしまう。
台詞の、ほんのかすかな引っ掛かりも同様。
役に対する解釈は良いとして、それを実際に演じる時点で、
すんなりと観ている側に受け入れられるだけの豊かで繊細な説得力が、
より完璧なものであって欲しいなぁ、と
(小林さんを始めとするベテラン勢は その点 抜群に上手かっただけに)
ファンとしての欲は、尽きることを知りませんw。


――ともあれ。
前作の『ふたつのスピカ』のように、
若い俳優さんたちの中に入って、彼らを引っ張っていく、
そういう立場も面白いと思いましたが、
一転、今回のように、一番若い立場で、しかし、もうキャンキャン騒がない
大人な雰囲気も十二分に出ている、
そういう役でも、本当に良い味が出て来て、ますます興味深いです。


このところの田辺さん、TVドラマでは、
特にNHKで、非常に印象に残る使われ方をしているなぁ、と思います。
笑う三人姉妹』・『風林火山』・『花の誇り』
ふたつのスピカ』・『気骨の判決』・・等々、
NHKに対して、田辺誠一の絶妙な起用の仕方に感じ入る、
という状況が、あいかわらず続いていますw。



『気骨の判決』公式サイト