『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』:9(「もどかしさ」への答え)

『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』:9(「もどかしさ」への答え)
『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』に、
どうもすっきりとしたピリオドが打てなくて・・・
でも、ま、大阪公演もとっくに終わったし、
このままフェードアウトしちゃってもいいか、とも思ったのですが(笑)
「あっぴこにっき」に書かれたあっぴこさんの感想を読んで、
あれこれ感じることがあって、
改めて、自分が『IZO』に対して抱いていた「もどかしさ」の答えが
みつかりそうな気がしたので、
「ファイナル」として書いてみたいと思います。

 

   ―――――――  ―――――――  ―――――――

 

白状すると、実は私、『IZO』を二度観ても、
田辺さんが演じた武市半平太に対して、心の底からは惚れ込めなくて。

・・いや、
武市半平太という、非常に骨太で輪郭のはっきりした、
決して「任」ではないと思われるこの役を、さほどの違和感なくこなし、
うっすらと彼独特の色味すら重ねてみせた田辺さんの演技には、
素直に感激したし、
時代劇の時に感じていた物足りなさを払拭してくれるような
充実ぶりに酔い、
今後の可能性を夢見て、すごく幸せな気分になったには違いないし、
それをこの眼に焼き付けることが出来た喜びも、
半端じゃなかったのは確かなんですが。

一方で、どこかしら、割り切れない、
もどかしい想いを抱いたのも、また確かで。
その「もどかしさ」の正体が、私にはどうしても掴めなくて、
ずーっと悶々としていたのですが・・・

 

田辺さんって、人の弱さとか深さとかを演じると、ものすごくうまい、
というか、特別なオーラみたいなものが出る俳優さんだ、
と、彼のファンになった当初から、私は、ずーっとそう信じていて。

どこか欠けている・・ 欠けたものを必死で探している・・
その浮遊感、というか、満たされないままの永遠の飢餓感、というか、
そういうものを潜ませた微妙な心の襞(ひだ)を、
複雑な色合いで浮び上がらせ、情感を込めて演じられるのが、
田辺誠一という俳優なんじゃないか、とか――

いつまで経っても他と馴れ合わない、ベタベタにならない、
どこか距離のあるような、
「ひとり」であることの、潔(いさぎよ)さと、美しさを持っている人
でもあるんじゃないか、とか――

(もちろん、田辺ファンとしての贔屓目がたっぷり入ってますが。笑)

 

で、私が思うに、そういう(私が大好きな)田辺さんの魅力というのは、
彼がポツンとひとりで立っているだけでは、
香り立つものではないのですよね。
誰か、田辺さんとは違ったベクトルを持つ相手がいて、
その相手の感情と擦(す)り合わさって、初めて、
俳優・田辺の内から浮き上がって来るものなんじゃないか、と。

 

―――そこで、『IZO』の武市半平太
武市は、以蔵に対して、
しっかりとした対峙をさせられていないのですよね。
ふたりの会話は何回かあるんだけれども、
いつも武市の「上から目線」になっていて、
以蔵にとって、武市は、永遠に手の届かない存在になっている。

確かに、この物語の中で、
武市がそういう風に描かれるのは仕方のないことだったんだろうし、
だからこそ、以蔵の、武市に対する想いが、
あんなふうに切なく一途に貫かれたんだろう、ということは
重々承知しているんだけれど、
一方で、私の正直な気持ちとしては、
せっかく以蔵役に森田剛くんが配されていたのだから、
月下の棋士』の氷室と滝川のように、
荒神-AraJinn-』のジンと風左衛門のように、
森田剛」vs「田辺誠一」として、
以蔵と武市が真剣に対峙し、火花を散らす場面が観たかった!
ふたりの感情が擦り合うことで生み出される、
あの独特の「凛とした空気」を、もう一度味わいたかった! 
――と、痛切にそう思う気持ちを止められなかったのも事実で。

以蔵と武市。
ふたりの間に絡み合う、複雑な感情の交差と、悲劇的な結末に、
ただ「天は動く!」という以蔵の言葉だけでなく、
最期に注がれた武市の 以蔵に対する理解のまなざしと一言だけでなく、
あと一歩踏み込んだ陰影をつけることは出来なかったものか、
と思ってしまって。

 

一場面でいい、一言でいい、一瞬でいい・・
初めて「人」として自分の前に立った以蔵と、一対一で対峙する武市。
その時、田辺誠一だからこそ演じられるあの独特の「痛み」が、
彼らしい細やかさで
武市の上に刷(は)かれるようなことがあったとしたら、
以蔵との確執は、さらに冷酷さを増して、
容赦なく、くっきりと、際立って行ったのではないか、と・・・

そうなったら、まったく違う『IZO』になってしまう、
というのは承知の上で、
そんな妄想をしてしまった自分がいるのも、間違いないことで。

 

でも、それって、今回観せてもらった『IZO』への不満、
というんじゃないんですよね。
たとえば、ああいう武市半平太を田辺さんに演じさせようとした、
演出のいのうえひでのりさんや脚本の青木豪さんへの感謝、
また、ああいう武市像を作りあげた田辺さんへの感嘆、
というのとはまた別の、
脚本や演出が、田辺誠一の魅力をどこに感じるか、というところで、
俳優としてものすごく間口を広げてもらえたことへの
心地良い満足感の裏で、
「使ってもらえなかった部分」への愛着と未練が、
私の中で、どうしようもなく募ってしまった、ということ
なんだと思います。

そして、ひょっとしたら、それこそが、
私の言い知れぬ「もどかしさ」への、
一番近い「答え」だったのではないか、という気がしてなりません。

 

―――ああ! もう! どこまでワガママなんだ、自分!!

     

 

足蹴にされ、罵(ののし)られ、あげくのはてに裏切られて、

愛するミツを殺され、自分も殺されかけて。

その時、以蔵の心に渦巻く感情は、どれほど複雑だったのだろう。

慕っても慕っても応えてくれなかった、

自分は、武市にとって、どういう存在だったのか、

そのやりきれない気持ちを、最後に武市にぶつけたい!とは

思わなかったんだろうか――

 

かすれた声で鳴きながら、千切れるように尻尾を振る野良犬・以蔵。

けれども、武市に向ける視線だけは、一途でまっすぐで、

その、あまりの純粋さに、かすかに心が揺れ動いたとしても・・

 

武市には「志」があるのだ、それを曲げて生きることは出来ないのだ。

大きな時代のうねりの中で、自分が生きて行く意味が、

そこにこそあるのだから。そこにしかないのだから。

 

犬のようにぞんざいに扱い、人殺しの道具として利用し、

あげくのはてに、仲間を護るために、その命さえ奪おうとした。

憎まれて当然、怨(うら)まれて当然。

その深い遺恨を受け止める覚悟がなくて、どうして、

自分をこんなにも慕い続ける男を葬り去ろうとすることが出来ようか。

 

憎んでいるか。怨んでいるか。哀しいか。悔しいか。

ならば、その気持ちを、この武市にぶつけて来い!

牙をむいてかかって来い!

 

まっすぐで純粋な、武市を見つめる以蔵のその眼に、

一瞬、真っ赤な獣の血が宿る!

<命>を賭けるほどの「重さ」が、ふたりの男の「想い」に重なる!

 

以蔵にとって、ただひたすら残酷な人間でしかなかったのだとしても、

同じくらいの残酷さで、

武市もまた自分自身に刃を向けて生きていたのだ、ということを、

以蔵だけは、感じていたかもしれないのに・・

          以蔵だからこそ、感じられたのかもしれないのに・・・

 

―――と、これは、

田辺誠一森田剛に贈る、私のささやかなトリビュート(捧げ物)。