『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』感想:4

『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』感想:4
1月31日、たくさんの宿題を抱えて(笑)再び観に行って来ました、
『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』。


いや〜、参りましたね〜・・・「完敗」です。
ひょっとすると、私は、とんでもない勘違いをしていたかもしれない。


 >「以蔵という犬が、武市をご主人さまとして崇拝するようになった
 >瞬間」を、はっきりと感じ取ることが出来ませんでした。


 >武士として、より先に、人間として、の感情が、
 >武市を見つめる以蔵の心の奥に、渦巻いているように思えて
 >ならないのです。


 >以蔵にとっては、剣か、恋か、の選択ではなくて、
 >どこまで行っても満たされない武市半平太という人間への
 >情念の深さが、
 >ミツとの、穏やかで優しい恋の成就をためらわせた、という気がする


と初見の感想(1月24日付け)で書きましたが、
今回、まったく違う感想を持ってしまった自分にかなり戸惑いつつ、
でも、自分の気持ちの落ち着き場所を 今度こそちゃんと見つけられた
気がして、何だかホッとしたのも事実だったりして。(笑)


私は、武市半平太を演じた田辺誠一さんのファンだし、
田辺さんと森田剛くんが醸し出す独特の空気感、
みたいなものが好きでもあるので、
前回、どうしても「武市と以蔵の関係」を第一に考えてしまったのだけれど
これは、以蔵と武市の物語でもなければ、
以蔵とおミツ(戸田恵梨香)の物語でもない、
文字通り「IZO=以蔵」ひとりの物語だったんだ、と、
今回、思い知らされた気がします。


岡田以蔵は、武市に対して、
自分を好きになって欲しい、と思ったわけでも、
自分を人間として扱って欲しい、と思ったわけでもないのだ――と。
舞台上を犬のように駆け回る森田くんを観ていて、
自分の気持ちがそこに辿り着いた時、おこがましいかもしれないけれど、
そんなささやかなものさえ望めなかった、望もうとしなかった
「以蔵の痛み」が、やっと(ほんの少しかもしれないけれど)
理解出来たような気がしました。


剣を頼りに、剣でしか生きていけない以蔵。
自分の唯一の誇り、生きる寄す処よすがを、まるごと託せる人間、
それが、たまたま武市半平太だった、ということ。

いつもいつも、以蔵に見えるのは、武市の背中だけ。後姿だけ。
自分が、人として(弟や子供のように)武市に愛されようなどとは、
夢にも思わない。
以蔵が愛して欲しかったのは、ただ「自分の剣」だけで、
せめて「剣(=唯一の誇り)」で武市と繋がっていたい、と、
そう願っただけではなかったのか、と。


武市によって「天誅」という名分を与えられ、剣をふるう以蔵は、
ようやく、自分の生きる道を見出すようになるけれど、
そうすることでしか 自分の存在価値を自分で認められない、
武市にも認めてもらえない、
と、そう信じ込んでしまった「自分自身への呪縛」が、
やがて彼を、一途で純粋な恋から遠ざけ、
破滅の道へと向かわせることになるわけで。


おミツを使い、
田中新兵衛山内圭哉)を陥(おとしい)れようとする以蔵は、
武市と義兄弟になった新兵衛への嫉妬、というより、
唯一誇りを持って生きられる「自分の居場所」を失うのが怖かった
のではないか。
武士でさえない、人間でさえない、人斬り犬としての、
薄汚れてひねくれた、塵(ちり)のような誇り、ではあっても、
それに必死にしがみつくしかなかったから・・・


―――だからこそ、哀しいのだ、切ないのだ、と―――


そこに思い至った時、私は完全に打ちのめされてしまいました。
あ〜あ、参ったなぁ・・本当に参りました!という気分。 
だって、そういう観方をすると、
「以蔵は、武市との人間的な繋がり(=人として愛されること)
を求めていた」と、しつこく力説していた私の初見の感想は、
まったくの的外れ、ということになるんですものね〜。(苦笑)
いや、もともと、私の妄想から始まった感想でしかなかったので、
白旗あげるのは まったく抵抗ないんだけど。(笑)


舞台の観方が、私自身、なぜこれほど変わってしまったのか、というと、
実は、森田くんの台詞が前回よりかなり良くなって、
言葉も、それに連なる動きも、
より繊細な表現が出来るようになったことで、
以蔵の気持ちが、格段にこちらに伝わりやすくなったことが大きかった、
という気がします。

あいかわらず声がかれて、聞き取りにくいところもあるんだけれど、
前回のように、ただがむしゃらに声を絞り出そうとしていない、
少ししか状態が良くなっていない中で、
声がかれてしまったなら、それなりに緩急をつけて、
むしろ、その「かれた声」を武器にする、というような、
転換の速さと、いい意味のしたたかさと、負けず嫌いな面が
森田くんにはあって、それが功を奏したんじゃないか・・・
というのは、まったくの私の想像だけれども(笑)
でも、少なくとも、私にそう思わせてくれ、惚れ直させてくれた、
見事な森田剛の「以蔵ぶり」だった、と感じられたことが、
本当に嬉しかったです。


それにしても急激に痩せ過ぎているのが心配。
頬がこけて、眼だけがギラギラして、
ほんとに「人斬り以蔵」って感じの風貌になった、とも言えるけど、
大阪公演もあるし、しっかり食べて体力つけて欲しいです。
(・・って、すっかり母親みたいな心境。笑)


それと、演出の手がいろいろ入ったのでしょうか、
台詞が削られたり、動きが変わったところがあったようで、
前回ちょっとうっとうしく感じた、
拍子木の入る回数や、哀しいシーンにかぶさる女声スキャット等も、
かなり厳選され、
斬られた人間が血しぶきをあげるタイミングも、かなり手馴れてきて、
スムーズに話が進むことで、全体的に疾走感も出て来て、
以蔵中心の物語として、
前回よりも すっきりとまとまって来たように感じられました。
そのあたり、いのうえさんの、前へ!前へ!という意志が感じられます。
すごい!


ただ、これだけシーン数が多いと、
舞台を観ながら頭で整理しつつ理解して行くのは本当に大変だし、
台本がまた、一筋縄では行かない、読み解く面白さがあるものなので、
何度か繰り返して観ることで、
どんどんいろんなことが見えて来るんじゃないか、
でも、舞台を何度も観る、というのは、
普通の人にはなかなか出来ないことなので、
場面や言葉をじっくり味わうためにも、シナリオ本か、
出来ることなら、ぜひDVD化してもらいたいものだ、とも思いました。


演じている俳優さんたちは、最初からかなりレベルが高かったので、
森田くんの他は、特に大きな変化、というのは感じられませんでしたが、
(お笑い担当の鶴さん(中谷さとみ)のテンションは
上がってましたが。笑)
何と言っても、森田くんが浮上して来たことで、
芯になるべき「以蔵の哀しみや痛み」が、
確実に伝わるようになったことが大きく、
それにつられて、おミツの感情移入がさらに深くなったり、
武市の怒りが、ただやみくもに以蔵にぶつけられている、
とは感じられなくなったり、
と、全体的にかなり完成度・熟成度が上がって来た、
という印象を受けました。


さて、田辺さん。
前回「しなやかな甘さ」という話をしましたが、
以蔵が武市に「人間的な繋がり」を求めていないのならば、
「父性」も「優しさ」も必要ないのではないか・・という気もします。

ただ、武市を演じる上での柔軟性のようなものは、
やはりもっと欲しいと思うし、
そのあたりで、田辺さんなりの色がもうちょっとつけられるといいなぁ、
とも思います。(そのあたりは、基本的に初見の感想と同じです)

そういう意味で、私が好きなのは、第1幕の江戸花街のシーン。
坂本龍馬池田鉄洋)にからかわれたり、以蔵に絡んだり、
という場面で垣間見せる、基本真面目な武市の、
ちょっと気を抜いた柔らかい感じに、和ませられました。(笑)


あと、以蔵に天誅の意味を語る時、や、
金子(きんす)を渡す時、の存在の大きさ、
山本容堂(西岡徳馬)の盃を受ける時の、
フッと甘さが立ち昇る感じもいい。

あとは、以蔵を怒るいくつかの場面で、
シーンごとの強弱と緩急がもうちょっと出ると、
さらに陰影が深まるのではないか、という気がします。


初見・再見、と、いろいろ注文をつけましたが、
今回、森田くんが浮上して来たことで、
彼の演技を受け止める田辺さんにも、かなり余裕が出て来た
ように感じられたこと、は、私にとって、大きな収穫でした。
この舞台でさらに精度を上げられる部分があるとしたら、
以蔵と、この武市の役じゃないか、とも思うので、
ぜひ、さらなる高みに向かって、精進していただきたいなぁ、
と思います。
「go to nexstage!」ってことで。(笑)


―――うん。完敗したけれど、
乾杯したいぐらいいい気分の、観劇でありました。
ああ、ホッとした。(笑)


                『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』 青山劇場 1月31日(木)12:30開演