『肩ごしの恋人』(第2話/迷える女の出世と恋)感想

『肩ごしの恋人』(第2話/迷える女の出世と恋)感想
うーん、これは案外「拾い物」のドラマかもしれないなぁ。(笑)
初回は、全体的に何となく浮ついていて、
観ているこちらも、どこか落ち着かない気持ちになったのだけれど、
2話にして、それぞれの役にきちんと「存在理由」が与えられているのが
明らかになって、全体が締まって来たような気がします。


何と言っても、中心となる正反対の性格のふたり、
萌(米倉涼子)とるり子(高岡早紀)が、さらに魅力的になっていて、
お互いの存在が、
それぞれの魅力に別角度から違った色をさすような効果があって、
なかなか面白かったです。

典型的なA型人間である私は、
萌の考え方に非常に共感するものがあるけれど、
るり子の、自分に嘘をつかない縛られない生き方、というものに対しても
どこかで認め、納得しながら観ることが出来ました。


いや、この二人だけじゃなくて、
ここに登場してくる人たち全てに、反発や、嫌悪を感じないんですよね。
全員(特に大人たち)を、すごく「可愛い」と感じてしまう。(笑)
それは多分、私が、
崇(佐野和真)や奈々子(渋谷飛鳥)・・は ずーっと昔の事としても(笑)
萌やるり子、柿崎(田辺誠一)や高野(若村麻由美)の年齢さえ
すでに過ぎていて、
それぞれの年代に、「想像」でなく「経験」として、
自分を無理なく重ねられるから、なのかもしれないです。


前回、「ノンケのふたり(信之と柿崎)に、いまひとつ魅力を感じない」
と書きましたが、
今回は、信之(永井大)にちょっと陰が出てきて、
この役もまた、面白く感じられるようになってきました。

文ちゃん(池内博之)はすっかり落ち着いて、
オネエ言葉もまったく違和感なし。(笑)
リョウ(要潤)ともども、
すべてを捨てた人間の潔さと覚悟が見え隠れして、
二人とも、さらに魅力的に、私の眼には映りました。


さて、柿崎祐介(田辺誠一)。
この人だけが、まだ、
ぎりぎりのところで「弱み」を晒していないのですが、
萌と飲んだ帰り、タクシーを拾おうとして遠くに眼をやる柿崎の表情が、
本当にいろいろなものを含んでいて、
萌のセリフと共に、
あまりにもストレートにこちらに訴えて来るものがあったので、
何だかジーンと来てしまった―― のは、
私が田辺ファンだから、でしょうか。(笑)


レールから外れることなく、万事要領よく、間違いのないように・・・
そうやって生きていくことが「正しい」と思っているから、ではなくて、
自分が傷つくのも恐いし、誰かを傷つけるのも恐い、
という臆病な心を捨て切れずに、
そんなふうに、どこかで自分を殺して生きて行くことしか出来ない
人間もいるのだ、と・・・


一人称で、その心の内を言葉に出来る萌に比べ、
今のところ「萌の視線を通して」しか語られない柿崎が、
これからさらに、
どういうふうに「自分の色」を出し「先へ進む姿」を見せてくれるのか、
脚本が『ホテリアー』のような失速をすることはないだろうと思うし、
演出も、どこをどう見せたいのか、
がしっかりしているように思われるので、
(というか、脚本も演出もどうか頼むよ〜!という感じですが。笑)
柿崎のこの先、を、楽しみにしたいと思います。


―――それにしても!
田辺誠一、いい男になったなぁ!」と改めて。(笑)


透明な美しさと硬さ、みたいなものを、ずっと持ち続けている人。
しかも、若い時のギスギスしたところが抜けて、
どんどんまろやかになっていて、特に今年に入ってからの彼には、
ほのかな「色香」のようなものまで感じられるようになったことが、
とても嬉しい。

「声の表現力」にも、一層磨きが掛かっている気がする。
柿崎の、どこか真剣じゃない感じが、
あの独特の「置くような」話し方に滲み出ている。
一方で、携帯の声など、
何度リピートしても飽きない甘さと優しさと滑らかさが、
何とも心地良い。(笑)

声が「言葉」に負けてない、と言ったらいいのかな。
もう一度、ギルバルス(@アタゴオルは猫の森)をやったら、
どうなるだろう、などと、
ついつい考えたくなるほど、魅力的でございました。(笑)


(以上、田辺ファンの贔屓目がたっぷり入りました〜。ご容赦。笑)