『シン・ゴジラ』感想

シン・ゴジラ』 感想

エヴァンゲリオン」の庵野秀明さん脚本・総監督、ということで
惹かれるものはあったのですが、
なかなか映画館に行こう、という気になれず‥
しかし、日増しに評判が高まっていたみたいだし、
どうせゴジラ観るなら やっぱり大きなスクリーンに限るよね、
ということで、観に行って来ました。
で、観終わった途端、いやいやいや凄かった! もう一回観たい!
と ウズウズする気持ちを抑えられず 数日後にもう一度観に行って、
さらにその面白さにハマってしまいました。
観るたびに違う何かが感じられる、
どんどん深読みしたくなる映画だと思います。


この映画の観方というのは人それぞれでいいと思うのですが、
私は、想定外の危機に襲われた時の
日本政府の危機管理能力がどれほどのもので どう発揮されるのか、
それを映画としてどう描くのか、というところに注目して観ました。

突然ゴジラ東京湾に出現する、なんて、
それ自体はまさに「ありえない」ことではあるんだけれども、
そんな「ゴジラ=今まで誰も遭遇した事のない未曽有の危機」に対して
国として重要な意思決定をしなければならない
政府内の右往左往ぶりが臨場感たっぷりに描かれていて、
なるほどこうやっていろんなことが決められて行くのか、
さまざまな命令や指示はこんなふうに出され、遂行して行くのか、と、
(もちろん映画という虚構の中での話ではあるんだけど)
すごく納得出来るものがあったし、
ゴジラによってなぎ倒された後のガレキの山、避難所生活、マスク、
除染、防護服、ガイガーカウンターの警告音、マイクロシーベルトの値、
レスキュー隊の出動、等々、
わずか5年半前、福島原発からたった50kmの場所にいて、
刻々 政府や県や東京電力の対応にかたずを呑んでいた人間としては、
何だかトリハダものの既視感(デジャヴ)があったのですよね。


理不尽に何もかも焼き尽くし 破壊し尽くすゴジラ
人によっては、台風や地震津波といった自然災害と重ねて、
ゴジラを観ていた人もいるかもしれません。
おそらく、制作にあたった庵野さんも、
東日本大震災とそれに続く原発事故をかなり意識していたのではないか、
という気がします。

この映画にも、なぜ 今 ゴジラが出現したのか、という話が出てきます。
他の多くのゴジラ映画と同じように、放射能が関係しているのですが、
だからと言って、それを単純に原発事故と結びつけるような、
安直な作り方はしていなかったように感じました。
しかし、その出自(しゅつじ)をたどりながら、
人が作り上げたものから生まれた得体のしれない不気味なモノ、
としてゴジラを括(くく)って観た時、
私には、その「誰にも止められない巨大な動くモノ」が、
不気味な白煙を上げたあの時の原発のように思えて仕方なかった。
原子炉建屋から吐き出された強い放射線
風の気まぐれであちこちに運ばれる、
それは、ゴジラが予測不能の動きをするのとよく似ている‥

生き物としての質感(初代の着ぐるみから継承された)を持ち、
幼体から成体へ何度も変化するにもかかわらず、
今回のゴジラには生き物としての息遣いが感じられない、
意思や感情が感じられない。
口や背中から発するのも、最終形態では火炎というより白熱光線で、
身体を動かして暴れまわるというよりも、
その光線によって何もかもが一刀両断にされる。
でも、だから(生き物としての息が感じられない動くモノだから)こそ、
逆に「容赦なく人間に大きな危害をもたらす存在」としてのリアルな怖さが
伝わって来たように思うし、
私にとっては、少なくとも私が観た今までのどのゴジラよりも
「身近に感じられる脅威」だった気がします。


ゴジラ出現という未曽有の危機に対して、
人間(日本政府)は、ひたすら、計画→実行→失敗を繰り返す、
何度も何度も跳ね返される、
未だかつて人類の誰一人として経験したことのない不測の事態に
立ち向かわなければならない人間の、なんと小さいことか、
なんと無力なことか。
しかし、そんな小さい人間一人一人が、
それぞれの持ち場で力を出し切ろうと懸命に努力する。
次から次へアイデアを捻り出す はみ出し者集団だったり、
そのアイデアを受け入れる上の立場の人間の判断力だったり、
科学者や技術者たちの英知だったり、
外国との交渉にひたすら頭を下げ続けるトップの人間だったり‥
何度もの愚かな失敗から猛烈なスピードで立ち直って
イデアを出し続け戦い続ける日本人の総合力の結集には、
純粋にドキドキワクワクしたし、
無人の新感線や在来線による攻撃とか、
ポンプ車やタンクローリー等の特殊建機隊による 血液凝固剤投入には、
手に汗握って、ひたすら 頑張れ!と願ってしまいました。


ただ、二度目に観て気がついたのだけれど、
ゴジラは最初、自分から危害を加えようとは思っていないのですよね。
最初に上陸した時も、二度目の時も、ただ彷徨っているに過ぎない。
ただそうやって動き回ることが、結果的に建物を壊し、
そこに住む人間の生活を脅かす結果になってしまっているだけで。
ゴジラが最初に彼の唯一の攻撃法(火炎)で本格的な攻撃をするのは、
自衛隊に発砲されてからだし、
もっと強力な破壊光線を放つのは、米軍の攻撃の後。
攻撃は より大きな反撃を生む‥
そんなところにも何か含みを持たせているんじゃないか、
と、私には感じられたのですが、本当のところはどうでしょうか。

そして・・
ゴジラとの戦いは一応収束したけれども、
決してこれが終わりではない、
もしかしたらまた新たなゴジラが動き出すかもしれない、
その不安と常に正しく向き合わなければならない、
ゴジラを決して忘れてはならない、と、
希望だけではなく 重いメッセージが潜んでいるように感じられた、
そのことも、大きな意味があるような気がしました。


登場人物では、
矢口(長谷川博己)と赤坂(竹野内豊)の立場の違いが
(どちらか一人だけではうまく機能しなかったんだろうな、という点で)
すごく興味深かったし、
矢口の下で働く巨災対のメンバー(市川実日子高橋一生津田寛治
塚本晋也等)も非常に魅力的でした。
政府関係者の面々(大杉漣柄本明平泉成高良健吾松尾諭
余貴美子國村隼等)も、
あからさまな悪者だったり 露骨に失敗するような人間はおらず、
能力の差はあれ、それぞれ頑張ってくれていたのが良かった。
また、矢口とカヨコ・アン・パタースン石原さとみ)も、
甘ったるいラブロマンスなんていうありがちなつまらない展開に走らず、
硬派な作りにしてくれていたのが心地良かったです。


最後に。
パンフレットが非常に読み応えがありました。
この映画がどういう過程を経てどう作られて行ったか、
その気の遠くなるような緻密な作業の一端に触れられたのも
とても嬉しかったです。


シン・ゴジラ     
総監督・脚本・編集:庵野秀明 監督・特技監督樋口真嗣
准監督・特技総括・B班監督:尾上克郎 撮影:山田康介
編集・VFXスーパーバイザー:佐藤敦紀 音楽:鷺巣詩郎伊福部昭
製作:市川南 企画協力:神山健治、浜田秀哉、川上量生
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
製作プロダクション:東宝映画、シネバザール 製作・配給:東宝
キャスト:長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ
高良健吾 大杉漣 柄本明 余貴美子 國村隼 平泉成 手塚とおる 松尾諭 
市川実日子 津田寛治 塚本晋也 高橋一生
小林隆 粟根まこと 古田新太 橋本じゅん ピエール瀧 片桐はいり 
松尾スズキ 光石研 他
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