『純と愛』を観て思ったこと。
どんなに明るく笑顔で懸命に頑張っても、どうにもならないこともある・・
理不尽なことは、どこにでも転がっている・・
先週末の『純と愛』を観ていて、そんなことを考えた。
「魔法の国(のようなホテル)を作りたい」という純の夢は、
あと一歩のところで、また挫折する。
愛(いとし)が、「神様は、乗り越えられる試練しか与えない」
と言いかけてその言葉を呑み込んだシーンに、胸が詰まった。
そして、ふと、同じ遊川和彦さん脚本の『家政婦のミタ』を観た時の、
ヒリヒリした痛みを思い出した。
どちらのドラマにも登場するのは、生きることに不器用な人間たちだ。
彼らの、自分ではどうしようも出来ない もどかしい気持ちは、
私自身の中の身近な感覚とも繋がっている。
『ミタ』と同時期に放送していた『11人もいる!』を、
すごく面白いと思って観ていながら、
あの大家族の、底抜けの明るさ、たくましさ、強さ、したたかさ、に、
正直、少し気後れしたのは、そんな私の臆病な性格ゆえか。w
この数年、私の周りでも、いろいろなことが起きた。
災害、病気、怪我、障がい・・
逃げ出したくても逃げられない、
それでも、何とか生きていかなければならない。
一人だったら、耐えるのは大変だったかもしれない。
家族「と」私、周囲の人たち「と」私、誰か「と」私・・
そうやって繋がっていたから、
何とか乗り越えようとする気持ちになれたんだ、と改めて思う。
「不幸がやってこないと、分からないことがいっぱいある」
森下愛子さん(純の母親役)の言葉に、大きくうなづく自分。
だけど、だからこそ、それを、
「苦労」ではあっても、「不幸」とは呼びたくない自分がいるのも、
また事実なのだ。
遊川さんがこのドラマをどう終わらせるのか、
興味深く観て行きたいと思います。