『ふたつのスピカ』(第2話)感想

NHKドラマ8ふたつのスピカ』(第2話)感想
「きちんと‘伝えたいこと’を持ってるドラマだなぁ」
というのが、今回 一番強く感じたこと。
ジュブナイルドラマには、教訓めいた内容が含まれることが多く、
このドラマも、やはり、そういう部分を持っています。
だけど、それが、
よくありがちな 押し付けがましさ には なってないんですよね。
青臭かったり、ベタだったり、という面映(おもはゆ)さがあるとはいえ、
ドラマを通して伝わって来るまっすぐな主張が、
自然な話し言葉として、
物語の面白さの中に 軽やかに鮮やかに組み込まれていて、
素直にこちらの心に響いて来る・・・


まぁ、突っ込みたいところは数々あるんだけどw
逆に、突っ込まれてもいいから「このことを言いたい」
「5人にこれをやらせたい」という、脚本の主張が生きていて、
なかなか芯のあるドラマになりつつあるんじゃないか、と、
そんなことも思いました。


登場人物が、皆、
それぞれに陽と陰の部分があり、単純でないのもいいし、
それが、いろんなエピソードに絡んで、自然に伝わって来るのもいいです。

5人の高校生の中では、
万里香(足立梨花)とふっちー(大東俊介)の立ち位置が好き。
ふっちーみたいな、自分の気持ちを気取らせずに主人公を見守るタイプに、
めっぽう弱い私ですw。


それから、
今回観ていて、なぜか無性に「大人っていいなぁ」と思ってしまったw。
いろんなものを背負いながら、傷つきながら、
それでも、若い学生たちのように、すべてのことにまっすぐに
勢いよくぶつかって行けない・・・
大人だから隠そうとする、だけど どうしても零(こぼ)れ落ちる、
長い時の流れの襞(ひだ)に潜む心情や、蓄積された想いが、
痛みや傷を負っている分、身体の深いところで発酵している・・・


決してかっこよくない、
未練がましくて、情けなくて・・思い込み激しくて、頑固で・・
だけど、このままじゃいけない、と思う気持ちは、
どこかにちゃんと持っていて。
何だか、若い学生たちと一緒にいることで浮き上がって来る、
若い子たちとまた違った、そういう大人たちの、
大人ゆえに 足掻(あが)くに足掻けない、静かな屈折が、
魅力的に感じられてしまったんですよね。


そんな大人の代表選手・佐野先生(田辺誠一)w。
こういう屈折した人間を演じると、独特の深さが表情に刷(は)かれて、
そこが 実に 私好みだったりw。

アスミの父・友朗(高嶋政宏)の、背負ってるものをおろせない苦しさ、
みたいなのもいいです。


二人とも、若いキラキラした子たちから見たら、
きっと うざいだけなんだろうけどね。w
でも、若い学生たちが、
そんな「大人たちの屈折」への反発からエネルギーを生み出すように、
学生たちの、若さゆえのひたむきさや 純粋さや あきらめない粘り強さから
この大人たちが得るものも、必ずあるはずで。
そこから、何かしら「救い」のヒントを得られるかもしれなくて。

万事 与えるだけ、教えるだけ、押さえつけるだけ、じゃなくて、
そういう、若い子とフィフティフィフティになってしまう大人の、
大人としての未成熟さ、がドラマとして描かれることが、
面白いなぁ、興味深いなぁ、とも思ったりして。


そして、そういう「完璧な大人になりきれない大人」を演じさせると、
田辺誠一は最強なんだよなぁ、なんてことも、
空飛ぶタイヤ』に引き続き、感じたりしていますが。
(あいかわらず偏ったファン目線です〜甘々ですみませんw)


田辺さん、今のところ、例の「置くような話し方」だったり、
台詞を流すような時もあったりして、聞いていて危うくて仕方ないんですが
何となく、佐野の「心ここにあらず」な感じ「本音で話してない」感じ
「すべてに反感を持って投げやりになっている」感じ・・
を出そうとしてるのかな、という気もして。
(いいように捉え過ぎでしょうか?苦笑)

なぜそう思ったのかというと、
リレーが終わった後、プールサイドでアスミに呼び止められて応えた
「なんだ」という短い一言の中に、
他の台詞では感じられなかった佐野のナマの感情が、
唯一、浮き上がって来ていたような気がしたので。


う〜ん・・
このドラマの中で、彼は、佐野貴仁の気持ちをどう変化させ、
どこに着地させようとしているんでしょうか。
このまま流すだけなら、それで済んでしまう単純な役、にもなり、
複雑に演じようとすれば、いくらでも複雑な難しい役、にもなる、
その選択をどうするのか・・・
そのあたりを追いかけるのも、楽しみだったりします。