『最後の戦犯』 感想

『最後の戦犯』感想 (12月7日(日)21:00-22:29/NHK名古屋
心にズシンと響く、非常に重いドラマでした。
しかし不思議と、後味の悪くないドラマでもありました。
それは、脚本(鄭義信)が、「戦争」というものを、
いたずらに悲劇を増幅させて視聴者を泣かせようとするものでなく、
一人の人間が、戦争時という異常事態の中で、
命令によりやむなく人を殺した、
そのことで思い悩み苦しみ、自分を追い込んで行く、という、
個人の心の痛みにスポットを当てて描いていたからのような気がしました。


日本では、もうずっと前から「戦争」という言葉の風化が始まっていて、
たとえば戦争ドラマにしても、上っ面をなぞっただけで、
その本質を描けていないのではないか、と思うことが多かったのだけれども
今回は、派手な空襲シーンや、旬の人気俳優の起用、などという、
ドラマを盛り上げるための「見せ場」がなかったにも関わらず、
(・・というか、そういうものに頼らなかったからこそ、
なのかもしれないけれど)
戦争が、人をどのように追い詰め、どれだけ苦しめるか、
という大切な部分が、ちゃんと伝わって来たように思います。
詰まるところ「人の殺し合い」でしかない戦争の中で、
たった一人の人間を殺してしまったその「重さ」と必死に向き合い、
すべてを自分の身体中で受け止めようとする主人公に、
どんな派手な戦争映画にも負けない「戦争の悲劇」が凝縮している
ようにも思われました。


主人公は、ARATAさん。
よくぞ、この役を彼に与えて下さった!
私は『ピンポン』と『真夜中の弥次さん喜多さん』しか観ていないけれど
彼が持つ静謐さや、控え目な佇まいに惹かれて、
気になっていた俳優さんでした。
彼が、真摯に、謙虚に、誠実に、吉村修という人間と向き合い、
一動作一動作、一言一言、魂を込めて演じたことで、
こちらに伝わるものが、一層深く、重いものになった気がします。
実際に演じている姿も胸を打つものでしたけれど、
ナレーションがまた素晴らしかったです。


陶器工場の職人・高田仙造(村田雄浩)。
仙造が持つずるさ、弱さ、というのは、多くの人が持つものだ
とも思うのですよね。
どこかに、吉村と同じ呵責や痛みを抱えているんだけど、
それを、吉村のように、全部自分で受け止めようとするほど強くない。
そういう、どこかで逃げている人間を、
村田さんは、過不足なく演じていて、すごくリアリティがありました。


吉村と仙造が言い争うシーンは、
ARATA vs 村田雄浩という「役の魂を掴んだ」二人の俳優のぶつかり合い
でもあり、それがそのまま、このドラマの中核にもなっていて、
本当に見ごたえのある場面だったと思います。


逃亡先の多治見での、
吉村を取り巻く人々の描写が多層的だったのに比べると、
福岡の家族の描写は、ちょっと単純だったように思います。
月日を追うごとに、警察の追及が厳しくなって追い詰められて行く、
その時間の流れがくっきりと描けていないので、
妹・安子(前田亜季)が学校を辞めなければならなくなる理由も、
身体の弱い姉・静子(原沙知絵)が、激しい尋問の末 命を落とす経過も、
説得力が十分ではなくて、
すんなりとこちらの気持ちを重ねられないのが残念でした。


そんな中で、母親役の倍賞美津子さんが、さすがの存在感。
戦争という過酷な状況に抗い疲れ、
すべてを運命として受け入れて行くしかないと悟った(あきらめた)人間の
どこか達観した様子が、かえって切なかったです。


さて、静子の元夫で医師の野田秀和を演じた田辺誠一さん。
しっかりと想い人を愛し支える、そのまっすぐな強さ、というか、深さが、
恋のから騒ぎ〜十億の女』のようなコメディではなくて、
こういう、戦争ドラマというリアリティの中で演じ切れている、というのが、
ファンとしてはたまらない。(笑)
これだけ静子に惚れてるのに、何で別れてしまったのか、を考えると、
そこにまた、戦争の哀しさがあるんだろうなぁ、と、
そのあたりはドラマには出て来ないんだけど、
あれやこれや思いを巡らせるに十分な、愛情の深さだったように思います。

何だかねぇ・・・
この「確かさ」もまた、確実に彼のものになったんだなぁ、
と感慨深し。(笑)


臨終間際、静子は彼に何と言ったのでしょうか。
何度観ても聴き取れなくて。
それがちょっと気になっています。