『ふたつのスピカ』(第4話)感想

NHKドラマ8『ふたつのスピカ』(第4話)感想
初見の時は、話の展開が速すぎて、
正直、そのスピードについて行けませんでした。
特に、桐生(向井理)と佐野(田辺誠一)の心境の変化があまりに急激で、
観ているこちらが十分納得出来ないでいるうちに、
桐生は留学し、佐野は学校を辞める、という急展開になってしまって、
かなり戸惑ってしまいました。
せめてあと10分、
桐生が友朗に頭を下げるようになるまでの心情を・・
佐野が学生たちによって硬い心を解きほぐされて行くさまを・・
ふたりが抱く複雑な気持ちの流れを・・
もう少し丁寧に、大切に追ってくれたら・・と。


でも、先日、改めて再見したら、
自分でもびっくりするほど、すんなり物語の中に入って行けましたw。
二度観たせいで、めまぐるしく速い展開の中でも、
ふたりの心の動きが、何となく読めたような気がしたからかもしれません。


桐生の変化は、やはり、
アスミ(桜庭ななみ)や友朗(高嶋政宏)もまた被害者である、
という事実を知ったことが、大きかったのかな、という気がします。
痛みを負っているのは自分だけじゃない、
アスミや友朗は、その痛みを、決して誰かのせいにはしていない、
と気づいた時、桐生の中で、何かが変わったのではないか、と。


桐生は留学してしまいましたが、
彼の存在というのは、このドラマの中で、特別な意味があったと思うし、
「いい男」を素直にまっすぐに演じ、
一転、友朗に屈折した想いをぶつける、という、難しい役を、
的確に嫌味なく演じた向井理くんもまた、頼もしい俳優さんだと感じました。


佐野の最大の変化は、
学生たちの姿を観続けること、
そこに過去の自分や仲間を重ね合わせること、によって、
「夢を掴むためには、仲間を蹴落となければならない」という考えから、
「仲間の存在を認め、仲間を愛し、その上で、容赦なく勝つ」
という考えに思い至ったこと、なのではないでしょうか。


「蹴落とす」ことと「容赦なく勝つ」ということは、
意味が全然違うと思うのです。
蹴落とす、は、相手を敵と思い、自分が勝てばそれでいい、
と考えているようなニュアンスがあります。
容赦なく勝つ、は、相手の力を認めた上で、自分はさらにその上を目指そう、
相手を受け入れつつ、自分もそれ以上に成長しよう、という考え方。


佐野は、自分の設計したロケットが採用されなかったことで、
友朗に蹴落とされた、と考えていた・・
それは、自分自身が、相手を蹴落とそうとしていたから、
彼自身がそういう考えを持った人間だったから、こそ、
の発想だったような気がします。
抱いていた「絶対的な自信」が崩れた時、彼は夢を放棄してしまいますが、
それは、彼の「自信」の裏に潜む ねたみ や そねみ =「弱さ」
への逃避だった、とも言えるのではないでしょうか。


そういう自分の中の濁った感情に、自分自身が呑み込まれつつあった時に、
事故は起きる・・起きてしまう・・彼の最愛の人を巻き込んで。


墜落したロケットを設計した友朗に対する怒りは、
そのまま、それ以上のものを作り上げることが出来なかった
自分自身への怒りと後悔にも転化されて行ったのではないか・・
と、例によって、これは、私の読み過ぎ(妄想)かもしれないけれど。


いずれにせよ・・
以来、彼の中で、「時間」と「感情」は、
凍ったまま心の奥に閉ざされるのです、
5人の学生の一途な想いにぶつかって、呼び覚まされるまで。


ふっちー(大東俊介)が学校を辞めると言い出した時、
佐野は、本人には勝手にしろと言っておきながら、
拝島(本上まなみ)にフォローを頼んだ。
期末テストの結果を発表する時、
3番に落ちた万里香(足立梨花)を気遣い、
頑張った圭(高山侑子)を称(たた)えた。
そこには、最終選考に残った秋(中村優一)とアスミだけでなく、
ふたりの頑張りを引き出し、彼らに容赦なく打ち負かされた、
「選ばれなかった」万里香や圭やふっちーを含む多くの学生たちへ、
彼がようやく注ぐことが出来るようになった、
「敗者への思いやりと愛情」が潜んでいたように思います。
そして、厳しい中にも温かい、人としての感情が、
負けた自分を認め、赦し、その傷を乗り越えようとすることによって、
彼の中に、ようやく息づくようになったようにも思えました。


人は幾つになっても変われる、成長して行ける・・
自分の分身のような学生たちを、彼なりに護ろうとして、
しかし果たせず、佐野は学校を去りますが、
去り際に学生たちに残した言葉は、非常に心に残るものになりました。


「残念ながら、ここにいる全員が宇宙飛行士になれるわけではない。
ただ、今、自分たちの周りに、本気でぶつかりあえる、
夢を語り合える仲間がいることを誇りに思え。
そして、そんな大切な仲間に、容赦なく勝て。以上。」


仲間を誇りに思い、そんな仲間に容赦なく勝つ――


これが、おそらくは『ふたつのスピカ』の「芯」を貫くスピリットであること、
それを、佐野が、このように力強く語り伝えてくれたこと、
が、とてもとても嬉しかった。


このドラマの主人公は、5人の学生たちであることには違いないけれど、
もっと絞れば、鴨川アスミということになるんだろうけれど、
でも、ひとりだけじゃ、5人だけじゃ、ドラマは作れない。
佐野先生が、このドラマで果たす役割の大きさを、
改めて実感出来たシーンでした。


上の台詞だけでなく、このドラマは、本当に脚本が素晴らしいと思います。
今回は松居大悟さんですが、1・2話を担当した荒井修子さんにしても、
このドラマを貫く「幹」をしっかり掴んでいて、
無理なく自然に感情移入させられてしまうのですよね。


人の生き方、夢の育み方、を、こんなふうに「言葉」にしてくれる、
それを、照れなく、気負いなく、観ている人たちに伝えようとしてくれる、
ジュブナイルのお手本のようなドラマ。


そんな宝石のような言葉たちの中に、
実は、田辺さんが伝えたかったメッセージも含まれている、と、
橘プロデューサーのブログで知って、ちょっとウルウルしてしまいました。


佐野が学校を去る時に5人が駆けつける、その際に佐野が言う
「宇宙は夢なんかじゃなく、現実だ。
君たちの頭の上には常に宇宙が広がっている。それを忘れるな。」
は、実は、田辺さんのアイデアから生まれた言葉だった、と。


ああ・・・そういう立場になったのだなぁ、田辺さんも。
「何かを作り上げる」という現場で、
自分の考えやアイデアを、惜しみなく出来うる限り捧げようとする。
それを採用するかどうか、は、スタッフの判断だけど、
一俳優の真摯な気持ちを受け取ったスタッフは、
中途半端ではいられないし、より真剣にならざるをえない。
そして、そういう「よりよいドラマを!」という
両者の容赦ないやりとりを観ている若いキャストたちも、
より真剣に役に向かうに違いない。


その、ドラマに携わる人々の一体感や、高揚感を盛り上げるエキスを、
ひとりの俳優が、少なからず供給している、ということ、
それが、田辺誠一であった、ということ、に、
何だか、背筋がピンと伸びる気がして・・
改めて、彼のファンであることを、嬉しく思いました。
(ああもう、最近、こればっかしですw)


次回は5話。
今回とともに「起承転結」の「転」になる展開になるのでしょうか。
佐野(田辺)ファンとしては、友朗との関係がどう変化して行くのか、
彼自身、事故と、そこから派生した事実を、どう捉え直していくのか、
気になるところです。



★『ふたつのスピカ』スタッフブログ(7/13)