『大奥〜華の乱』感想

今さら 『大奥〜華の乱』。
先日、もう一度最初から観直しまして。
(ほぼ成住登場シーンのみですが、最終回だけは全部観ました)
で、何だか気持ちの良い余韻にひたることが出来たので、その話を。

   *

成住(を演じた田辺誠一)のファンという眼で見れば、
吉保(北村一輝)に人質として利用されるためだけに長い間幽閉され、
あげく返り討ちにあってあっさり死んでしまう、というのは、
まったく、あっけなくてそっけない最期だった、
と残念に思う気持ちも確かにあるけれど。

 

私が、特にドラマの終盤を観て思ったのは、
吉保が成住を生かしておいたのは、安子(内山理名)に対する切り札、
という意味合いはもちろんのこと、
この夫婦の「絆」の破綻を見たい、という気持ちもあったんじゃないか、
ということ。

 

安子を綱吉(谷原章介)に奪われた成住が、
新しい領地と妻を与えられた後、綱吉に拝謁する、その時に、
綱吉から「まだ安子を忘れられないのか」と言われ、硬い表情を浮かべる、
その横顔を、吉保が興味深げに見る。

その時の吉保の気持ちは、
男ならば、立身出世の為に妻や家族を犠牲にするのは当然、
たかが女ひとりいつまでも忘れられない成住に対して、
情けない奴、女々しい奴、と思った・・
と同時に、いつまでも妻を想い続ける成住に対する半ば軽蔑まじりの興味、
というのもあったんじゃないか、と思う。

成住の妻の安子は、綱吉の側室となっても、大奥の権力争いの外にいて、
綱吉の寵愛を受けることに必死になっている他の女たちとは一線を画し、
心はいつも成住の許にある。

そんなふたりが、権力に引き裂かれ、運命にもて遊ばれつつ、
長い時を経て、それでも失わない「絆」を
繋ぎ続けることが出来るのか否か。

 

絶対に壊れる、そんな「愛」など存在しない、
と、吉保は確信していたに違いない。
自分はそうやって生きて来た、
それがこの時代に生きる者の唯一の道だと信じて。
だから、愛する染子(貫地谷しほり)を躊躇なく綱吉に差し出した。

 

けれど、吉保の子である吉里を綱吉の子として認めさせるため、
染子に「私を殺してくれ」と頼まれた時、
吉保の心に、成住・安子夫婦の「ゆるぎない愛」が、
かすめて行ったりはしなかっただろうか。
ひょっとしたらあんなふうに、
ただ、愛する者とささやかな幸せを紡いで行くことだけを求めること・・
そういう生き方を、染子と共に求めること・・
この刃を捨てれば、もしかしたら・・・・と。
けれども、吉保はそうしなかった。
それは、今まで自分が信じて来たものを、自分の生き方を、
すべて否定することに他ならないから。
そして染子の胸に刃を突き立て、
さらに、安子を守る為に自分に刃を向けた成住を返り討ちにして・・

 

成住の命を絶った時、吉保の心に虚しさはなかったんだろうか。
本当は、成住のように・・
成住が、愚直に信じ、愛したと同じように・・
自分も、すべてをまっすぐに信じ、愛したかった。
権力への野心とは遠いところで、自分の心に素直に生きること、
それは、この時代の武士にとっては、
「負け犬」でしかないのかもしれないけれど。

 

吉保にとって、成住は、「もうひとりの、なりたかった自分」。
綱吉の死後、すべてを失った吉保は、
そうなってみてようやく、
成住を軽蔑しながら一方でその生き方に憧れていた、
ということに気づいたのではないか。

そしてきっと、綱吉にとっても、
安子に最後まで愛された成住は、「もうひとりの、なりたかった自分」
だったのではないか。

 

権力の頂点に立った男が、最期まで求めず得られなかったもの、を・・
野心に燃え、時代の寵児とまで言われた男が、
失って初めて気づいたもの、を・・
成住は、成住ひとりだけは、最初から最後まで持ち続け、
与えられ続けていた・・・・

 

『大奥』は確かに「女のドラマ」だったには違いないけれど、
一方で、「ふたりの飢(かつ)えた男と、ひとりの満たされた男の物語」
でもあったのかもしれない、と、
最終回を観ながら、ふとそんなことを思った。