今さら『青天を衝け』感想(その1/第1回~12回)

2021年2月14日 - 12月26日NHKで放送された大河ドラマ『青天を衝け』(第1回~12回/血洗島・青春編)の、今さらながらの感想です。

▶第1回~12回(血洗島・青春編)
初回、まず最初に登場したのが徳川家康北大路欣也)で、幕末の話なのに何で!?と おおいに面食らったけどw 彼が歴史上の出来事をかいつまんで分かりやすく話してくれるので、歴史に疎(うと)い私でも 栄一たちが生きた時代がどんなものだったのか入り込みやすかった気がします。考えてみれば、徳川の終焉を語るのに、これほどふさわしい人もいないのかもしれない。

物語の冒頭は、栄一が生まれ育った血洗島村をメインに描かれるのですが、何と言っても 画面いっぱいに広がる農村風景が素晴らしくて、すごく心地良かった!
土の匂い、風の香り、空の広さ‥そこで生き 働く人たちの 土地に根付いた姿を、ドローンなどを使って巧みに見せる。家の中から外を見ると洗濯物を干す人の姿、一面に広がる畑、そびえるほどの大木、遠くに見える山並み‥画面を通して伝わる圧倒的な「本物感」。ロケ最高!と改めて思いました。

序盤、その高く広がる青い空の下で思い切り駆け回る栄一の 限りなく澄んだ輝く瞳と、ドクンドクンと高鳴る心臓の鼓動までもが伝わるような好奇心旺盛な行動力の、なんと魅力的なこと!
一家の中心となる父・市郎右衛門(小林薫)は栄一に言います、「上に立つ者は下の者への責任がある。大事なものを守る務めだ」と。家族を支える母・ゑい(和久井映見)は言います、「あんたが嬉しいだけじゃなくて、み~んなが嬉しいのが一番なんだで」と。
栄一の姉・妹、従兄弟、伯父・伯母、村の人々‥家族・村という単位でのそれぞれの役割をきっちりと描いて、栄一の人格が形作られて行く様子が生き生きと描かれます。 (そりゃあ、お蚕様だってダンス踊っちゃうよね~かわいかった~w)

そんな中、栄一は罪人・高島秋帆玉木宏)に出会います。「このままではこの国は終わる」と言う高島に、その言葉の深い意味を知らぬまま「俺が守ってやんべぇこの国を」と言う幼い栄一‥

一方、英明(えいめい)との評判ながら、籠の中に閉じ込められて自由に身動き出来ず、心が満たされない寂しさや虚しさ、さらには、強烈な父親(斉昭/竹中直人)のもとで本当の自分を解放しきれない鬱屈を抱えていた慶喜には、本人の気持ちをなおざりにしたまま、次期将軍候補とすべく御三卿の一橋家に迎え入れる話が進んでいて‥

広い世界に押し出されて行く二人の船出が、それぞれの少年時代(栄一/小林優仁、慶喜/笠松基生)から青年期の演者(栄一/吉沢亮慶喜/草彅剛)へと見事に継承されていて、ワクワクさせられました。
 ――――――
数年が経ち、家の手伝いを積極的にやるようになる栄一。幼馴染の喜作(高良健吾)と共に、兄のように慕う従兄(いとこ)の尾高惇忠(田辺誠一)のもとで武術を学びつつ、尊王攘夷天皇を尊び、開国を迫る夷狄(外国)から日の本を守る)という思想を教えられます。

ここで、ちょっと寄り道。
あまり歴史に詳しくない私、尊王攘夷公武合体は『IZO』(2008年/劇団☆新感線)の時にそれなりに勉強したけれど、なぜ尊王攘夷が水戸から生まれたのか、なぜ攘夷派だった薩摩や長州が開国派になったのか、が、このドラマを観て何となく理解出来たような気がします。(家康様の解説が、すごくわかりやすくて、面白かった)
天皇との繋がりがもともと深く、天子さまを守る意識が強かった水戸家。斉昭が作った弘道館から、尊王攘夷を唱えた水戸学が広められます。そして、この考えが、水戸に近い血洗島の若者たちにも広がって行く、ということなのですね。

ある時、代官から多額の御用金を申し渡された栄一は、あまりの理不尽さに「承服出来ねえ!」と強い怒りを覚えながら村に帰って来ます。そこに惇忠がいて、栄一に「話を聞こうか」と声をかける。もうここがすごく良かった!(田辺ファンとしては、こういうシーンを見せられると、惇忠を田辺さんが演じる格別な意味、みたいなものが感じられて、嬉しくなります)
一足先に世の中の大きなうねりを感じていた惇忠は、この世の中に憤る=悲憤慷慨、という言葉を栄一に教えます。
支配する側の武士と支配される側のその他(農工商)の間に厳重に線を引いた家康だが、その線に疑問を持った人々が多く出始め、その線が揺らぎ始める←う~んなるほど!と、あいかわらず分かりやすい家康の解説に頷く私。

そのころ、慶喜の小姓として仕えるようになった平岡円四郎(堤真一)は、慶喜から「諍臣になって欲しい。私に驕(おご)りがあれば必ず諌めて欲しい」と言われます。(「諍臣は必ずその漸を諌む」=手の施しようがなくなってから意見しても、何の効果もない。「漸」のうちにしてこそ意味がある)
この、慶喜と平岡の出会いも、すごく良かったです。身の回りの世話をする小姓なんてやりたくない気持ち満々の平岡が、慶喜と出会って給仕の作法を教えてもらううち、どんどん好きになって行くのが伝わって来て、やっと慶喜が心を開ける相手が見つかったことがなんだか嬉しかった。

血洗島では、惇忠の弟・長七郎(満島真之介)が江戸へ武者修行に行くことに。
「弟よ旅に出ろ」と長七郎にはなむけの詩を贈る惇忠。この時の彼の気持ちはどんなものだったのか。栄一のように、自分が、ではなくて、自分と同じ志を持った誰かが行動を起こせばそれでいい、と本当に思っていたのか、彼なりの葛藤があったのではないか‥と、つい深読みしたくなる私。
惇忠の本意というのは読み取れないけれども、父がいない尾高家の長男としての責任もあり、栄一の父が言うように「大事なものを守る務め」を果たそうとすることも大切なことだと思っていたのかもしれない。
そんな兄の想いを長七郎も身に沁みて分かっていたんですよね、きっと。彼はいろんなものを背負って村を出て行く。見たもの聞いたもの、体験を、惇忠や栄一たちにしっかりと伝えなければ、と思っているから、いつも真剣だったし、必死だった。
想像だけではない、江戸から京都へ‥尊王攘夷の現場を目の当たりにした長七郎は悩み続ける、自分にはいったい何が出来るのか、何をどうすべきなのか、と。
 
13代将軍・徳川家定渡辺大知)の孤独。周囲は、子がなく病弱でもあった彼の頭越しにあからさまに次の将軍の話をする。さらに、正室となった篤君(上白石萌音)が、慶喜を将軍後継に認めさせるという密命を負っていた、と告白‥「わしを支えてくれるものはおらんか!」という家定の切実な訴えに応えたのが、井伊直弼岸谷五朗)でした。何だかこの登場の仕方に、背筋がゾクゾクしました。
「斉昭は自分の息子を世継にして公儀を我が物にしようとしておる。慶喜を世継にするのは嫌じゃ」と訴える家定。単なるわがままではない、彼なりの苦しさ、辛さが滲み出ています。家定からその強い思いを託された井伊によって、一橋派の弾圧(安政の大獄)が始まります。

家康の解説。「孝明天皇が外国嫌いで、将軍ではなく水戸を頼りにされたことで、井伊ら開国派が攘夷派を徹底的に処分した」とのこと。

栄一は、惇忠の妹・千代(橋本愛)を嫁にもらい、ますます商いに精を出しますが、理不尽なことばかりの世の中に唇を嚙み締めます。「百姓だからってこんなにも軽くみられるってぇのは、この世自体がおかしいのかもしんねえ。生まれつき身分の違いがあるっていうのは、この世の中が、つまりは幕府がおかしいのかもしんねえ。だとしたら俺はどうしたらいい、幕府を変えるにはこの世を変えるには‥」

慶喜には隠居謹慎が、斉昭には永蟄居が申し渡され、一橋派は、井伊によって、まったく身動きの取れない状態に追い込まれてしまいます。
井伊を中心とした幕府が朝廷を軽んじる扱いを繰り返したことで、尊王攘夷の志士たちが過激化、外国人を襲う事件が起き、井伊は、家定の死後14代将軍となった家茂(磯村勇斗)から、ほとぼりがさめるまで大老職を退いてはどうかと言われます。
しかし、井伊にはまったく引く気配はなく、弾圧は強まるばかり。
そして、ついに井伊は桜田門外の変水戸藩脱藩者らによって暗殺され、これで水戸は仇(かたき)持ちになってしまった、と憂えた斉昭も突然の病死。父の死を知らされた慶喜は、慟哭します。

京では和宮深川麻衣)を徳川に降嫁させる話が進みます。
尊王論者・大橋訥庵(山崎銀之丞)は、長七郎に、和宮降家を画策した老中・安藤を斬れ、と命じます。
江戸から血洗島に戻り、安藤を斬って武士らしく腹を切る、と、気持ちが昂(たかぶ)ってしまっている長七郎(満島真之介)に、惇忠は、安藤一人を斬ったところで何も変わらない、と説得。栄一も、井伊や安藤を動かしていたのは幕府で、武士は武士、百姓は百姓と決めつけている幕府がある限り、何も変わらない、と熱く語ります。
彼らの説得を受け入れた長七郎は京に逃れ、惇忠は、「家が国、国が家のようにしてはじめて攘夷がなる。大騒動を起こして世間を目覚めさせる!」と、横浜焼き討ち計画を栄一たちに語り、おおいに盛り上がります。

一方、慶喜は、薩摩の島津久光池田成志)らの強い推挙により家茂の後見人となりますが、薩摩が自らの利権のために自分たちを利用しようとしていることを知ります。

京では、過激な志士たちが、和宮降家に力を貸した者や開国に賛成の者を天誅と称して抹殺。その先鋒に立ったのが長州と三条実美でしたが、慶喜松平春嶽要潤)が、攘夷が容易いものではないこと、まず公武の融和で人心をまとめるべきと主張、長州や薩摩が外国との戦いに敗れ、攘夷が無謀であることを知るようになったこともあって、徐々に公武合体へと動いていきます。

血洗島では、密かに決起する時が近づき、栄一は父に勘当して欲しいと申し出ます。「家を出て天下のために働きてぇと思う。俺一人満足でも、この家の商いがうまくいっても、世の中みぃんなが幸せでなかったら俺は嬉しいとは思えねえ。みんなが幸せなのが一番なんだ。この国が間違った方向に行こうとしてるのに見て見ぬふりして何でもねえような顔して生きて行くことは出来ねえ」
千代もまた、栄一の決意を理解してくれていました。
「栄一さんはこの日の本を己の家のように一家のように大事に思ってらっしゃるんです。家のことに励むみてぇにこの日の本のために懸命に励みてぇって。どっちもに栄一さんの道はあるんです」
父は、「俺は政がどんなに悪かろうが、百姓の分は守り通す。それが俺の道だ。お前はお前の道を行け」と跡継ぎである栄一が家を出ることを許します。

江戸に出た栄一と喜作は、幕府に追われ、襲われそうになったところを平岡に助けられ、「百姓の志がお武家様のそれより下だとは思っていない。百姓だろうが商い人だろうが立派な志を持つものはいくらでもいる。生まれつきの身分だけでものが言えねえのがこの世なら、俺はこの世をぶっつぶさねばなんねえ」と息巻き、「やりたいことがあるなら武士になっちまったほうがいい。いつか気が変わったら来な、悪いようにはしねぇから」と、平岡から、何かあったら自分を頼るように、と言われます。二人に、侍(さむらい)にも引けを取らないほどの歯ごたえや気概のようなものを感じ取ったのかもしれません。

一橋派であったことから勘定奉行を解かれ左遷されていた川路聖謨平田満)が外国奉行に任ぜられ幕政に復帰、懇意だった平岡に、「水戸烈公や東湖先生(渡辺いっけい)が生み出した攘夷って思想が、長い時を経ているいちにとんでもねえ流行り病(はやりやまいになっちまった気がしてる」と話すのですが、流行り病の熱は、血洗島にも。
尊王攘夷の志を持った若者が続々と惇忠の元に集まり、武器を調達し、いよいよ横浜焼き討ちに向かおうとする時、長七郎が戻ります。京での混乱をその目で見てきた長七郎は、「これはただの暴挙だ。70やそこらじゃ百姓一揆にもならねえ!」と惇忠たちに訴え、焼き討ちはギリギリのところで取りやめになります。

攘夷の熱に浮かされたあげく、その熱の正しい在り処(ありか)を見失ってしまった長七郎の苦悩する姿が、横浜焼き討ちに突っ走る惇忠や、浮足立つ栄一や喜作たちを諌(いさ)めるような、ある種の「重石(おもし)」にもなって行った気がします。一人、異質な空気感を纏(まと)うようになる長七郎を、そんなふうに作り上げた満島さんが素晴らしかったです。

悲憤慷慨の想いを強く持ち、仲間と共に尊王攘夷を唱えながら突っ走って来た栄一は 行く道を断たれ、生まれてから一度も触れなかった娘・うたを初めて抱き、「とっつぁまは臆病者だ‥死なねえでよかった」と涙を流します。
このシーン、観ていてすごく心に響きました。世の中の不条理に向かって拳を上げそこなった栄一が、やっとうたを抱く、自分が一番守らなければならない存在がこんなに身近にあった、この命をこそ守らなければならないのだと栄一は気づいたのかもしれません。流行り病から辛うじて生還した瞬間だったように思いました。

栄一は、京に向かう、と父に告げます。父は、「ものの道理だけは踏みはずすなよ。誠を貫いたと胸張って生きたなら、俺はそれが幸か不幸か死ぬか生きるかにかかわらず満足することにすべえ」と栄一を送り出します。
何だかこの両親もすごいですよね。腹の括(くく)り方が半端じゃありません。

そして、慶喜・平岡も京へ。
ここから本格的に慶喜と栄一が相まみえることになります。
今後、慶喜の空虚(そのあたり草彅さんには独特の空気感がある)を栄一(吉沢さんの突き抜けるようにまっすぐな瞳・口跡・ふるまいが清々しい)たちがどう埋めて行くのか、楽しみです。


大河ドラマ『青天を衝け』
放送:2021年2月14日 - 12月26日 NHK総合 毎週日曜 20:00 - 20:45
脚本:大森美香 音楽:佐藤直紀
演出:黒崎博 村橋直樹 松木健祐  制作統括:菓子浩 福岡利武
プロデューサー:板垣麻衣子  制作:日本放送協会
出演:吉沢亮 高良健吾 橋本愛 
草彅剛 堤真一 竹中直人 木村佳乃 渡辺大地 上白石萌音 磯村勇斗 大谷亮平 岸谷五朗
小林薫 和久井映見 田辺誠一 満島真之介 玉木宏北大路欣也 他
公式サイト