『ガラスの仮面』雑感

ガラスの仮面』(「ドラマ×田辺誠一」+「原作マンガ」)雑感です。思いつくまま書いてみようかと。

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昨年10月から今年4月にかけて、BS朝日にて『ガラスの仮面』『ガラスの仮面2』が放送されました。

このドラマは、私が田辺誠一さんのファンになるきっかけを作ってくれました。
特に『2』の後半、田辺さん演じる速水真澄にすっかり惚れ込み、以後、田辺関連のホームページやブログを作るなどして、20数年、ずっと(時期によって距離感の遠近はありますが)田辺さんを追いかけることとなり、今に至っています。

もともと原作の『ガラスの仮面』が好きで、マンガもずっと読んでいたのですが、ドラマになった当初は、原作への思い入れもあって あまり真剣に観ようとは思わず、『1』は最終回近くなって何話か観る程度でした。
『1』の評判が良かったこともあって 『2』がドラマ化された時は、どんなもんだろう?と興味が湧き、最初から観ました。そこで感じたこと…
田辺さん演じる速水真澄は、原作とはちょっと違っている、でもその「違っている部分」というのが、私にはすごく興味深かった。速水真澄としての空気感(全体の雰囲気や表情、マヤへの想い等々)が原作以上に響いて来ることも多く、あっという間に速水@田辺にドハマリしたわけです。

今回、久しぶりに観た『ガラかめ』は、やはり面白かったですが、田辺さんに関して言えば、正直、どこか物足りなさも感じる。
たとえば、安達祐実さんにしても、野際陽子さんにしても、今 同じ役を演じても あの時とほとんど変わらない気がする、つまり、あの時点でほぼ出来上がっていた気がするのですが、田辺さんは違うと思うのですよね。
あの時はまだ、演技として未熟な部分があったのだなぁ、と、あれ以来、田辺さんが演じるとんでもなく幅広い多彩な役を数多く観続けて来て、改めて思います。
無理な注文とは分かっているのですが、「ああ、今の田辺さんで観たかったなぁ」(年齢完全無視…というか、原作の速水の一種 老成した雰囲気は、今の田辺さんの方が近い気がするw)と思うこともしばしば、で、その気持ちが、物足りなさに繋がっているのかもしれません。
だって本当に凄いと思うから、田辺さんが俳優として20年積み上げて来たものって…
しかも、あの時田辺さんが醸し出した「速水真澄の 少年のように純粋で痛々しいほどの優しい躊躇(ちゅうちょ)」は、20年以上経った今でも俳優・田辺誠一の内に宿っているに違いないし…

原作が非常にスローペースで、なかなか進まないこともあり、ドラマを観てからは、何となく本家のマンガに違和感を覚えるようになってしまい(本末転倒w)、マンガの速水を見て「田辺さんと違う!速水さんじゃない!」と訳の分らんことを思い(爆)、それでも、この大大大長編マンガの最後がどんなものになるのか、という興味は、やはりあって。

先日、オペラ『紅天女』の無料配信を観ました。この芝居を最後まで描いた(脚本を担当)、というのは、美内すずえさんにとって、『ガラかめ』のラストを描く決心がついた、ということなのではないか、と、勝手に思ったわけですが…

実は、私の中でも、もう『ガラかめ』のラストは出来上がっています。もちろん勝手な妄想ですがw、それは、ずっと変わらず私の心の中で発酵し続けています。

ここからは、私個人のまったくの想像・空想・妄想の中でのお話、と強く断りを入れておきますが―――

『ガラかめ』の連載が始まったのは、いわゆる「少女まんが」というジャンルがより広い世界に認められ出した頃。『ベルサイユのばら』や『エースをねらえ!』といった、今も語り継がれるような傑作が生まれ、その後の「二十四年組」に繋がる流れの中。
連載当初、美内さんは『ガラかめ』を2巻ぐらいで終了させようと考えていたらしいですが、その思惑がはずれたのは、もちろんマンガ自体がすごく面白かったので多くのファンの支持を得た、ということが一番大きかったとも思うけれど、私はちょっとひねくれた観方をしていて(そういうの得意というか大好物なのでw)、実は『エースをねらえ!』が陰に影響していた部分もひょっとしたらあったのではないか、という気がするのですよね。
『エース』の岡ひろみと宗方仁の師弟関係は、北島マヤ月影千草に近いし、「紅天女」を姫川亜弓と二人で争うようになってからは、マヤと速水真澄の関係にも似ている部分があるなぁ、と。
どちらのマンガも、主人公だけでなく、主人公の夢を支える側の人間の葛藤にもしっかりと筆を費やしている。宗方がテニスを通して本人に知られないままひろみを愛する姿は、速水が紅天女を通して密かにマヤを愛する姿に被(かぶ)る‥なんて、そんな観方をするのは私だけなのかもしれないけどw。
でも、テニスと演劇、という違いはあるにせよ、宗方と速水の底に流れるひろみやマヤへの愛情の深さは、俗に言う「男女の恋愛」といった言葉だけでは簡単に括(くく)れないもののような気がするのです。
それは、どちらかがどちらかを真似た、ということではなくて、あの時代、たとえば『ベルばら』などにも通じる、非常に大きなものに共に立ち向かう「姿勢」と言えばいいか、互いが相手だけを見つめる、といった男女の恋愛関係(だけ)ではない、互いが支え合って、高みにある最も大切なもの・命を懸けて悔いないもの に向かってひたすら突き進んで行く、そのひたむきさが、あの当時の少女マンガのいくつかに共通する世界観として存在していたのではないかと。
(美内さんが稀代のストーリーテラーと言われる所以(ゆえん)は、さらにその上に、速水というキャラに対して、自分の素直な感情を告白出来ない事情を挟み込んだ、というところなんじゃないか‥というのは閑話)

『ガラかめ』が、当時の美内さんの思惑通りに短期間で終われなかったのは、「命懸けで何かに挑む物語」を、ベルばらやエースのすぐ後に三番煎じのように終わらせたくない、というような、密かなためらいがあったのではないか、という気がするのですが‥まぁ考え過ぎかなw。

いずれにしても、終わりの時期を逸したガラかめは、美内さんのそれこそ未曽有の「あらゆる設定の物語をいくらでも生み出せる稀有な才能(能力)」もあって、次から次へと新しいドラマが紡がれて行き…そして40年、49巻を経て、未だに終わらない。

49巻が世に出てはや8年(2012.10刊)にもなるのに、そこから50巻へ踏み出せないのはなぜか。
もちろん美内さん自身の個人的なさまざまな事情もあったでしょうが、私は、美内さんの中で、自分が決めたこの物語のラストを実際に描くことへの迷いがあったのではないか、という気がしています。
あの時代なら描けたことでも、今の時代に同じように描くことが可能なのか、描いてしまっていいのか、等身大の少女を描くことの多い現在の少女マンガという括(くく)りの中で、良く言えばドラマチック、もっと言えば荒唐無稽でさえある(でもそこが面白いんだけど)このマンガが、あの頃のように、皆に受け入れてもらえるのかどうか…

これだけ長く続けていると、このマンガのラストはどうなるのか…と、ファンの間でもさまざまな憶測が生まれます。
マヤと速水が結ばれる大団円を望むファンも多いですが、はたしてどうでしょうか。
二人が幸せになる、という括りで言えば、私が考えた最後も、あながちそこからはずれたものではない、という気がします。
マヤの一番の幸せとは何か、速水の一番の幸せとは何か…
マヤが紅天女になるために最も必要なものを速水だけが与えられるのだとしたら…
互いが互いを求め、ひとつになる‥オペラで阿古夜と一真がひとつに溶け合って自然そのものと一体になったように、速水がマヤの内に溶け込んで一体となり、紅天女を演じる‥それが二人の幸せであり、二人の紅天女であり、それがこの長い物語のラストなのだとしたら…

そして、マヤの永遠のライバル亜弓については…
これから先、速水のマヤへの大きな愛、それこそが、亜弓がマヤと紅天女を争う上での、もっとも大きな厚い壁となるのではないか、という気がします。
視力を失いつつある彼女がこの試練をどう乗り切るか、も、非常に気になるところですが(どんな形であれ、ハミルの存在が大きくなって行って欲しいです)、亜弓派の私としては、彼女には、さらに大きな役目を背負って欲しい、とも思う。
常にマヤの前を走る、走り続ける…
紅天女に選ばれるか否かにかかわらず、彼女には、そうやってずっとマヤの前を走り続ける、いつまでも「マヤが目指すべき女優」であって欲しい、と願ってやみません。

ここに来て(実はこの記事を書くために40巻から再読したw)桜小路優の存在が、控えめでありながら重要な役目を担うのではないか、と思われるようになって来ました。マヤを実質的にささえて行くのは、彼の今後の役目になって行く気がします。

そして‥ 実は、このマンガで私がもっとも気になっているのは、紫織さまの去就。どういう結果になるにせよ、決して紫織さまが不幸であってはならない、彼女こそ絶対にこれ以上不幸にさせてはならない‥と、そう願っている自分がいます。速水やマヤのためにも。
(ふと、ドラマ『きみはペット』の蓮實@田辺さんを思い出した、なぜだろう)

まとまりませんが…
これが、今現在、私の心の中にある『ガラスの仮面』の姿です。


追記。
ガラスの仮面』『ガラスの仮面2』と来たら、ぜひ『完結編』も再放送して欲しいし、すべて込みでのDVD化というのも、過去に周囲の田辺さんファンと一緒に実際に「完結編のビデオ化お願い運動」をした者としては、それこそ「悲願」ではあるのですが…
原作が終わらない限り、なかなか難しいのかな、と、私は思っています。

そもそも、原作が終わっていないにもかかわらずドラマでピリオドを打ってしまう、というのは、とても難しいこと。原作者の最も大切にしているテリトリーにズカズカ踏み込んで、作者が丁寧に丁寧に練り上げて来た最終回のイメージを、へたすると壊してしまう可能性もあるわけで。
たとえば『JIN~仁~』というドラマは、1クールで無理に終わらせず、原作のマンガが終了してから完結編を作りましたが、それほど慎重に扱わなければならない事なのだと思うのです。
だから、『ガラかめ』も、完結編を作ってくれただけで感謝、原作が終わっていないにもかかわらず その許可を与えてくれた美内さんの懐の深さにも感謝、という気がします。

『完結編』は、まだ原作が描いていない部分に触れている(ドラマ独自の解釈で一応の終止符を打っている)。なので、再放送は難しい、というのが、私の見立て。
原作マンガが無事終了したら、『完結編』の放送も、『ガラスの仮面』すべてのDVD化も、ファンからのリクエストが多ければ、美内さんからOKが出るのではないでしょうか。
だから、望みを捨てないで待っていよう、と思います。

…ん~~、ただ、原作はまだ「紅天女」の試演にも至っていない。
オペラ化でついに「紅天女」のラストを描いたことで、美内先生が本家の『ガラかめ』を描く気になってくれたとしても、50巻どころか、60巻ぐらいまでかかりそうな気がするなぁ (-_-;)

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↓ 49巻未読のまま7年半前に書いた「ガラスの仮面 考」
私の『ガラスの仮面』(原作)に対する観方は、この当時とほとんど変わっていないなぁ、と、改めて思うw
『ガラスの仮面』考 - 路地裏より愛を込めて

ブログのデザインを変更しました。

昨日からブログデザインが目まぐるしく変わって、戸惑った方もいたかもしれません。すみません💦

以前から、このブログのスマホ画面の使い勝手があまり良くないことが気になっていて、もっと検索しやすいようにしたい、PCのサイドバーの「カテゴリー」や「月別アーカイブ」といった検索機能をスマホに持ってこれないか、と考えていたのですが、ブログをレスポンシブデザイン(PC・タブレットスマホなどの異なる画面サイズの幅を調整し最適な表示にする)にすればいい、ということを知り(今さらですよね~(^^;))、はてなのデザインテーマをあれこれ調べていました。で、ようやく、シンプルで見やすくて読みやすくてレスポンシブ仕様でもある、このデザインに決めました。

<注意>
・PCの画面幅によっては、サイドバーが下欄に表示にされることがあります。
スマホの一部機種では、「コメント」欄に書き込みが出来なかったり、「注目記事」「月別アーカイブ」「最近のコメント」が表示されなかったりすることがあります。(←実は私のスマホが これ💦)
ご了承下さい。

今後ともよろしくお願い致します。

今さら『斉木楠雄のΨ難』感想

2017年10月に公開された映画。今さらながらの感想です。

ひたすらくだらなくってバカバカしい映画です…いやいや、決して けなしてるんじゃなくてですねw
何だろう、今迄こういう系統の映画やらドラマやら舞台やらをいくつか観て来たんですが、こんなにも重みのない、毒気のない、しかも無理矢理笑わせようとする痛々しさの感じられない作品は、少なくとも私が観た中にはほとんどなかったような気がする。(ずっと思い出そうとしてるんだけど記憶にない)
少年マンガ的 熱い友情とか根性とか努力とか汗・涙ともほぼ無縁。 まともに心に響くものは皆無。観る側に何かを深く考えさせるような隠れたメッセージとか、笑いの奥に潜む闇とか毒とかが まったくなくて、ただ今この一瞬を笑い倒すだけ。 だから、くだらなくってバカバカしい、ってのは、賛辞と思ってもらっていい。
そういう映画だから、観た後の(普通の映画のような)満足感とか充足感というのはほとんどなくて、すごくサラ~ッとしてる、それを物足りないと思う人もいるかもしれないけど、私は、これはこれで楽しみました。

タイトルロールの山﨑賢人さんの淡々とした揺るぎなさとか、橋本環奈さんの思い切った顔芸とか、賀来賢人さんの笑わせどころにたっぷり余裕のある感じとか、吉沢亮さんの何やっても無駄にカッコイイところとか(このキャラが一番好き)、新井浩文さん、笠原秀幸さんにしても、かなりメチャクチャなこの世界感にうまく乗っかって、体当たりで(でも いささかの恥じらいも感じさせながら)演じている、それが、観る側に、爆笑じゃなく、「は‥はは~」といった脱力感を含んだ背伸びしない笑いを生んでいる。この、全力なのに軽い笑い、というのが興味深かったし、最終的に、すべてのトンデモナイハチャメチャな出来事を、マジシャン(ムロツヨシさん)のマジックだったんじゃね? という落としどころに持って行ったところも(定番ではあるけど)面白かったです。

さて田辺誠一さん。楠雄の父親ですが、フワーンと浮いていておおらかで、映画全体の空気感を壊すことなく、内田由紀さんとの夫婦役もピッタリでした。
(この二人ってどこかで観たよなぁ‥と思ったら、『神の雫』の一青とマキだった!惚れ込んだドラマなのに忘れちゃいかん!w)
この映画絡みで福田雄一監督と賀来さんと田辺さんが『ボクらの時代』に出演してるのを観たのですが、福田監督が田辺さんを買ってくれていて、何度もオファーした(どんな役だったんだろ)のに断られて、今回やっと出てもらえた、と言っていたのが何だか嬉しかったです。


斉木楠雄のΨ難
公開:2017年10月11日
脚本・監督:福田雄一 原作:麻生周一
音楽:瀬川英史  主題歌:ゆず「恋、弾けました。」
製作:松橋真三 北島直明 製作総指揮:伊藤響
制作会社:プラスディー  製作会社:映画「斉木楠雄のΨ難」製作委員会
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント アスミック・エース
出演:山﨑賢人 橋本環奈 新井浩文 吉沢亮 笠原秀幸 賀来賢人
ムロツヨシ 佐藤二朗 内田有紀 田辺誠一  他
公式サイト

今さら『私のおじさん~WATAOJI~』感想

昨年(2019)1月、毎週金曜23:15からテレビ朝日金曜ナイトドラマ枠で放送された全8回の連続ドラマ。今さらながらの感想です。

岡田結実さんの初主演ドラマ。
深夜帯の放送でもあり、コメディ寄りの軽めのドラマなのかな、と思って観ていたのですが、まぁ確かに くだらない・バカバカしい(バラエティ制作チームの話なので)シーンはあるのだけれども、そこで働いている人たちは、悩んだり迷ったりしながら一所懸命汗かいて自分なりにちゃんとしっかり仕事をしている、これはバラエティ業界の舞台裏を描いたお仕事ドラマであり、ひかりを始めとしたメンバーの成長ドラマ。
コメディ定番の面白さが無理矢理な感じではなくて、自然に笑わせられ、そして泣かされ、いろんなことを考えさせられる、温かいドラマだな、と思いました。
妖精のおじさんが突然現れたり消えたりする、なんていうとんでもない設定なのに、ドラマとして伝えたいことが ほとんど引っ掛かりなくすんなりこちらに伝わる、それが可能だったのは、脚本が、コメディということにこだわり過ぎず無理して笑わせようとしないで、一人一人を、単純で薄っぺらではなく ある程度の深みを持った人間として描いていたからだし、演じていた人たちがまた、コメディ要素もシリアス要素も自分の役に自然に練り込んで演じていたから。 とにかく、芸達者が集まった感があって、本当に安心して観ていられました。

出渕チーフAD(小手伸也)やら九条AD(戸塚純貴)やら馬場AP(青木さやか)やら、全体的におちゃらけて楽しいチームの中で、一人まっすぐでブレない千葉D(城田優)の存在が大きかった。彼の塩辛さがちょうど良いスパイスになっていて、ドラマを締める効果があったように思います。

コワモテ遠藤憲一さんの妖精としての空気感も、正直最初はちょっと違和感がありましたが、ひかりがおじさんに慣れるのと同じくらいのペースでこちらも何だか慣れて来て、エンケンさん自身も中盤以降はすんなりとみんなの中に溶け込んで楽しんでいる(皆があれこれ推理してるシーンで一瞬刑事の顔になったりw)のが伝わって来て、観ていてとても楽しかったです。(いつも飲み屋で頼むのがカシスオレンジってのも可愛らしいw)

主人公・一ノ瀬ひかり役の岡田結実さんは、そんな手練れ(てだれ)のメンバーの中に入って奮闘、とにかく元気で、表情が豊かで、すごくコメディエンヌ向き、という気がしました。 岡田さんのようなキャラクターは、若い女優さんでは貴重かもしれない。千葉ちゃんと安易に甘々な関係にならない、という脚本・演出の選択も、私としては大正解だったように思いました。

さて、泉プロデューサーを演じた田辺誠一さん。 いかにもギョウカイ人です的な軽さ、テキトーな上司(「踊る大捜査線」みたいな上層部3人組)に振り回される一方で千葉たちから突き上げくらう中間管理職的な辛さ、ひかりをさりげなくかばう優しさ、芯に持つ仕事への熱い想い、等々が、無理なく泉のキャラに収まって、しかも、コメディとしての全体の空気を壊さない。
『捜査会議はリビングで!』の晶も ドラマ全体のコメディとしての空気感に凄く馴染んでいて、そういう田辺さんを観るのが楽しかったのですが、泉Pは、軽さの中にある重みや深みが少しずつ表面に浮き出る仕掛けになっていて、観続けて行くことで、人間的なさまざまな色付けが加わり、どんどん魅力的になって行くところが(まぁファンだから贔屓目が入ってるかもしれないけど。苦笑)とても良かったです。

内容としては、メンバーそれぞれがメインになる回があって、どの回も面白かったですが、田辺ファンの私としては、4回と6回、特に千葉(城田)とのシーンが見ごたえあって楽しみました。
千葉がなぜ泉に対してタメ口なのか、言いたい放題出来るのか、その裏にある二人の信頼関係に、何だか凄く惹かれてしまった。
それから、「泉さんは千葉さんの気持ちが分かってない」と言うひかりに、「ちゃんと泉さんに謝った?」というお局様・馬場の一言も効いてました。この一言で、泉Pが裏でひかりのためにどれほど動いていたかがすごく良く分かって、馬場ちゃんさすがアシスタントプロデューサー、泉Pのことちゃんと分かってるなぁ、とちょっと感動。青木さやかさんがこの場面だけでなく全体的に良い味出してましたね。

コワモテおじさんの妖精が、ただ ひかりにだけ見えてるんじゃなくて、辛い時苦しい時 誰の前にも現れる、しかも、乗り越えた時には見えなくなっている、という存在だったのも良かったです。(もしかしたら‥ひょっとしたら‥私にも来てくれていたのかもしれない、なんて考えたりしてw)
アメリカに行かないか、と誘われて千葉が迷っていた時、突然おじさんが見えるようになって、いちいちビビりまくってたのが(普段めったに表情変えない男だけに)面白かった。

おじさんの正体は何だったのか――― 一歩を踏み出せなくてウジウジしている人の背中を押してくれる「近くにいる誰かの見えない手」だったのかもしれないですね。泉Pがひかりの頭をポンポンしてくれたように、千葉がひかりに手を差し伸べてくれたように…
ひかりの「おじさんになりたい」という一言。これ すごくいい台詞だな~、と思いました。ひかりも おじさんやみんなにしてもらったように、いつか誰かの背中を押す存在になって行く…そうやって誰かに背中を押されて、みんなつまづいたり転んだりしながら前に進んで行く…そんな未来が垣間見えたほっこりしたラストが心地良かったです。


それにしても…
泉P、後半は、出張やら やらせ疑惑の責任取って突然会社辞めるやら(すぐに復職してたけどw)唐突にいなくなっちゃってたなぁ。刑事7人(シーズン4)の時みたいに、中の人が忙しかった(学校やら坂の途中やらに出かけてて?)のかもしれないし、内容的に泉がいない方が話の展開がしやすいと思われたのかもしれないけど、何だか寂しかった。
特に皆が週刊誌のゴシップやフェイクに悩まされる7回は、私としては泉Pに居て欲しかった、泉がどう乗り切るのか(あるいはまったく乗り切れないのかw)観てみたかったです。それがちょっと残念でした。



『私のおじさん~WATAOJI~』
放送:2019年1月11日 毎週金曜 23:15- 全8回 テレビ朝日
脚本:岸本鮎佳 モラル   監督:竹園元 Yuki Saito 小松隆志
音楽:木村秀彬  エンディング:aiko「愛した日」
製作総指揮:三輪祐見子テレビ朝日、GP)
プロデューサー:貴島彩理(テレビ朝日) 本郷達也(MMJ) 布施等(MMJ
制作:MMJ(協力)  製作:テレビ朝日
出演:岡田結実 遠藤憲一 城田優 小手伸也 戸塚純貴 青木さやか 田辺誠一 他
公式サイト

今さら『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』感想

昨年(2019)1月、毎週日曜22:30から日本テレビ系で放送された全10回の連続ドラマ。今さらながらの感想です。

これはすごいドラマでした!
学校を爆破して生徒を閉じ込める、なんていう とんでもなくインチキくさい話なのに、幕開きからの緊迫感が半端なくて、一気に引き込まれました。

発端は一人の生徒の自殺。
半年前のその事件の全容を解明すべく、一人の先生が立ち上がった! というと、いかにもかっこいい正義のヒーローみたいですが、菅田将暉くん演じる柊一颯は、やることなすことがとんでもなく危うくて、ヒーローと言うには毒が強すぎてすんなり「好きだ」とは言い切れないんだけど、一方で、どこまでもストイックで、生徒に向ける甘さを削ぎ落した厳しく鋭い刃を、翻(ひるがえ)って自分自身にも向けているように見えるので、突き放して観ることが出来ないんですよね。 そのうえ、喧嘩に滅法強く、しかもアクションがすごくかっこいい!
‥そんな人間が本当にいたらすごいけど、やり過ぎてしまえば嘘っぽくも白々しくもなる。 深みのない薄っぺらな人間を主人公に据えてしまったら、もともととんでもない設定のこのドラマに、さらに虚構の色合いが強くなってしまって、本当に伝えたいことがストレートに伝わらなくなってしまう可能性もある。
果たして 観ているこちら側が素直に納得出来るだけの背景が柊一颯に用意されているのか、とちょっと猜疑の眼で観ていたら‥
実は、特撮ヒーローのスーツアクターをしていたが、病気になったために断念、教師だった恋人(制作会社の社長の娘)と同じ学校の先生になり、さらには、彼女を精神的な病にまで追い詰めた男を陥(おとしい)れるためにその男の居る学校に赴任、‥って、よくもまぁ考えたものだなぁ!と素直に脱帽。
これは、特撮ヒーローを演じ、学校の先生になりたかった、という菅田くんの実際の人生とも重なっていて、だからこそ、嘘の多い設定なのに、そこにリアルな空気を吹き込めたのかもしれない、という気がしました。
いやいや、菅田将暉、とんでもない俳優ですね。そして、彼の一途でひたむきで真剣な「本気」が乗り移ったかのような 柊一颯は、非常に魅力的なダークヒーローでした。

教室の緊張感も素晴らしかったです。
あれだけ突拍子もないことが次々に起こっているのに、そこにいる生徒たちが(柊先生に引きずられるように)リアルにピリピリした空気感を作っていたので、嘘っぽさが感じられなかった。
柊に 自分のやったことを暴かれる生徒たちが、それぞれ役の持ち味を自分に限りなく近づけて自分のものとして演じていたから、こんなのありえない、と思いつつも、彼らの言動の重さに引き込まれ、ついつい前のめりになって画面を凝視してしまう自分がいました。
毎回それぞれ中心になる生徒がいるのですが、そこに他の生徒たちも自然に絡んでくるので、全体として誰かが突出してメインになることがなく、スポットが生徒全体に当たっているようで、一人一人が単なるモブになってしまっていないところも興味深かったです。
「一人一人が目の前にある問題とどう向き合うべきか、想像力を働かせていろんな可能性をかんがみる。自分だったらどうするか、相手が自分だったらどうすべきかを考えて、それぞれの想いをぶつけ合う」
「想像力を働かせて自分の言葉や行動に責任を持つ。決断をする前に踏みとどまって、これが本当に正しいのかを問いただす。考えることの大切さをみんなに伝えたかった」――
そんな柊の言葉に導かれるように、生徒たちはやがてネットの情報を鵜呑みにしなくなり、惑わされなくなり、自分でしっかり考え、分析し、正解を導き出すようになる。10日の間に葛藤しつつ確実に成長していく、その姿がとても頼もしかったです。

一方、彼らの身を案じる外の人たちは、どこかフッと抜けたところがあり、校長(ベンガル)始め 先生たち(堀田茜・バッファロー吾郎A・神尾佑)の事件に対する緩さというか甘さというか緊迫感のなさ、というか、ユーモラスなところもあり、それが逆に、3Aの閉じ込められた空間のシリアスな空気を引き立てていたように思います。

そんな中、田辺誠一さん演じる武智先生は、時に、緊張した3Aの空気感をぶち壊しにしているようなところもあって、観ていて すごく浮いているようにも、馴染めていないようにも思えてハラハラしたのですが、それは、田辺さんの役つくりに問題があるのではなくて、あえてKY(空気読めない)な人間として3Aに深く(真剣に)入り込まず、柊とは真逆の立場で「自分にはまったく関係ない」感を醸すことで、逆に「先生とは何か」という問題提起をしているところもあったのではないか、という気がしました。

ただ、結果的に先生方もそれほど深く事件に関わらず、警察関係者の五十嵐(大友康平)や郡司(椎名桔平)も陰に柊に手を貸す形になって、「悪役」という立場の人間がほとんど武智先生一人になってしまった、というのは、観ていてちょっと辛いものがありました。
う~ん、辛いというよりも‥生徒を報酬目当てで大学に斡旋したあげく早々に見限ったり、フェイク動画作成を依頼して 柊の恋人・相楽文香(土村芳)を追い詰め心の病にしたあげく、3Aの生徒・景山澪奈(上白石萌歌)を死に追いやる原因を作った、いわばとんでもない悪党でありながら、本人にその自覚が欠落している、その「怖さ」が、もう一歩、こちらに親身なものとしてぶつからない、もどかしさ、と言ったらいいか。
でも、私はこのドラマを初回から最終回までほとんど一気に観たけれど、毎回リアルタイムで謎を追い、回が進むにつれサスペンス度が増して犯人捜しが佳境に入っていたことを思えば、武智がこういう存在(立ち位置)だったということはあまり気にならなかったのかもしれないし、彼が本当の意味でのラスボスではない、と考えると、それも致し方ないことなのかもしれない、とも思えますが。

何だかんだ言っても、終盤の柊と武智の一騎打ちは見ごたえがあったし(野太い声で恫喝←いのうえひでのりさんの演技指導(@鋼鉄番長)のたまもの?)、 五十嵐から平手打ちをくらうところなど、武智の表情の絶妙さに いつもながらの田辺色を味わわせてもらったし、武智がネットの誹謗中傷によって文香や景山と同じように精神的に追い詰められて行く、自分のやったことがどれほど二人を苦しめたのか それを身をもって追体験させられる、そのことが、このドラマにとって重要な意味があった、と考えると、こういう役が田辺誠一にあてがわれた、ということは、光栄なことと言えるのかもしれないし。(以上、田辺ファンとしての戯言(たわごと)ご容赦)

さらに、そんな武智にも救いの手が差し伸べられる、というところが、観ている側としても救いになっていたように思います。「私たちはあなたの味方です」という校長先生の言葉に頷く同僚の先生方の優しさにもホロリとさせられました。

「生徒を商品としてしか見ていない!」と柊に糾弾されていた武智ですが、観ていてふと『金八先生』の「腐ったみかん」のエピソードを思い出しました。
タイプは違うけれど、柊にも金八みたいな「熱」があって、生徒に全身全霊でぶつかり、彼らを全力で守ろうとしているのは同じ。

その「熱」が、最後に、ネットの向こう側にいる人間たちに向かって放たれる。 ここから数分間の柊一颯=菅田将暉の「独白」の鬼気迫るほどの激しさ、強さ、凄さ! 画面に向かって吠える柊の血を吐くような叫びに、胸が熱く‥というより、胸が痛くなりました。
「キモイ、ウザイ、死ね、そんなおまえらの自覚のない悪意が景山を殺したんだよ! おまえらネットの何千何万という悪意にまみれたナイフで、何度も何度も刺されて、景山澪奈の心は殺されたんだ!」
柊の魂の叫びは、ドラマ上のSNS「Mind Voice(マインドボイス)」の人間たちだけでない、テレビのこちら側のリアルな生活の中で、「身勝手な正義感」や「無自覚な悪意」でPCやスマホの画面の上に言いたい放題書き散らかしていたかもしれない、このドラマを観ていた人間=視聴者の両頬をも思いっきり叩いたような気がしたし、その痛みが、ちゃんと伝わった、と信じたいし、もちろん私自身も引っ叩かれたんだ、と肝に銘じなければならない。
そう思わせる 力強くて純粋でまっすぐな何かが、間違いなく、菅田くんや生徒たちを演じた彼らから放たれた、それをちゃんと受け取ろう、それが、これだけ「真剣」に演じてくれた彼らに対する、観る側としての せめてもの「応え」なんじゃないか、という気がしました。


特筆すべき、ドラマ全編に漂っていた「特撮ヒーローもの」の空気感。
これだけストレートに伝えたいことがうまく伝わったのは、もちろん菅田くんを始めとする出演者の熱意・熱演もありますが、この空気感をうまく使っていたから、のような気もします。柊の計画に特撮ヒーローの制作会社が絡む、というアイデアが素晴らしく、学校爆破を始めとするとんでもない出来事を「それもあり」だと思わせる、その力技で、すべて納得させられてしまう形になったことが、このドラマが成功した大きな要因になっていたように思います。そのあたりは、脚本(武藤将吾)のうまさでもあり、演出他スタッフの思い切りの良さでもありますね。
以前、ある映画の感想の中で、「インチキがシリアスを凌駕する、 あるいは、シリアスがインチキと同じところまで墜ちる、という、そんなことが起き得るかもしれない、それを見せたい、という思惑は、 (映画の制作側に)ひょっとしたらあったかもしれない」と書いたことがあるのですが、このドラマを観ていて、ふとそれを思い出しました。
全体を覆うファンタジーのような空気感の中で、サスペンスフルな展開もインチキ臭くならず、一番伝えたかっただろうことがリアルにダイレクトに伝わった、まるで奇跡のようなドラマ。
 
出来るんだなぁ、こんなことが、まだ、テレビドラマにも!


「Let's think(レッツシンク)…考えよう、立ち止まって、想像力を目いっぱい働かせて。」



『3年A組 ~今から、皆さんは人質です』    
放送:2019年1月6日 - 毎週日曜 22:30 全10回 日本テレビ
脚本:武藤将吾 演出:小室直子 鈴木勇馬 水野格
音楽:松本晃彦 エンディング:ザ・クロマニヨンズ「生きる」
チーフプロデューサー: 西憲彦 プロデューサー :福井雄太、松本明子(AXON)
協力プロデューサー:難波利昭(AXON) アクションコーディネーター:柴原孝典
制作協力 - AXON 製作著作 - 日本テレビ
出演:菅田将暉 永野芽郁 片寄涼太 川栄李奈 上白石萌歌 
萩原利久 今田美桜 福原遥 神尾楓珠 鈴木仁 望月歩 堀田真由 富田望生 佐久本宝 
古川毅 若林時英 森七菜 秋田汐梨 今井悠貴 箭内夢菜 新條由芽 日比美思
細田善彦 堀田茜 バッファロー吾郎A 神尾佑 土村芳
ベンガル 矢島健一 大友康平 田辺誠一 椎名桔平 他
公式サイト